劉昌赫
リュウ・ショウカク
유창혁
Yoo Chang hyuk
ユ・チャンヒョク
1966年4月25日生れ
A型
ソウル出身
沖岩高校卒。1984年世界アマチュア囲碁選手権に準優勝して1984年4月入段(18歳)。1996年6月17日九段(11人目、七段から推挙で九段昇段)。1999年アナウンサー・ギムテフィさんと結婚(ギムテフィさんは2007年に病死)。2008年後半、韓国棋院常務理事として世界初の賞金棋戦・BCカード杯の設立に中心人物として奔放。
棋風:攻めの力がすばらしい。
渾名:世界最高の攻撃手。
タイトル獲得数:27個(うち世界タイトル:6個)
対局日棋戦名年齢コメント
2003年(第37期)覇王戦優勝37歳
2003年(第2期)KT杯マスターズプロ棋戦優勝37歳
2002年(第6回)LG杯優勝36歳
2002年(第3期)マキシム杯入神連勝最強戦優勝36歳
2001年(第3回)春蘭杯優勝35歳
2001年(第2期)マキシム杯入神連勝最強戦優勝35歳
2000年(5回)三星火災杯優勝34歳
1999年(第12回)富士通杯優勝33歳
1999年(第7期)倍達王優勝33歳
1998年(第6期)倍達王優勝32歳
1997年(第5期)SBS杯優勝31歳
1996年(第3回)応氏杯優勝30歳
1996年(第15期)KBS杯碁王戦優勝30歳
1996年(第4期)SBS杯優勝30歳
1996年(第1期)テクロン杯優勝30歳
1995年(第14期)KBS杯碁王戦優勝29歳
1995年(第29期)王位戦優勝29歳4連覇
1994年(第11期)バッカス杯優勝28歳
1994年(第28期)王位戦優勝28歳
1993年(第6回)富士通杯優勝27歳
1993年(第13期)KBS杯碁王戦優勝27歳
1993年(第11期)バッカス杯優勝27歳
1993年(第27期)王位戦優勝27歳
1992年(第26期)王位戦優勝26歳
1990年(第2期)棋聖戦優勝24歳
1988年(第6期)大王戦優勝22歳
1986年(第2期)新王戦優勝20歳
2001年1月1日以降国際棋戦成績=2勝1敗(対日本:0勝0敗、対中国:1勝1敗、対韓国:1勝0敗、対他:0勝0敗)
対局日棋戦名勝敗対戦相手
2007.10.09第12回三星火災杯八強戦古力九段(中国)
2007.09.06第12回三星火災杯第2回戦許映皓六段(韓国)
2007.09.04第12回三星火災杯第1回戦孔傑七段(中国)
韓国棋院の情報 棋聖道場・写真集 写真(30歳)
【1993年8月8日 読売新聞「顔」(文化部・横内猛)】
劉昌赫さん 韓国棋士六段。小学6年で「少年国手」のタイトルを取り、高校2年のとき世界アマ選手権で準優勝。18歳でプロ入り。27歳。
細身の体から近寄りがたい妖気(ようき)が漂う、そんな雰囲気でスタートした決勝戦だった。終局して勝利を確認すると、ぐっとうつむいて涙ぐんだ。「運が良かっただけ。これで慢心せず、もっともっと勉強したい」と言うが、謙虚な言葉とは裏腹に、顔には自信が充満しているようだった。「韓国の有力棋士の中で『世界戦で優勝してないのはお前だけだ』とファンにハッパをかけられて、今回は頑張るつもりだった」というのは本音のようだ。
韓国ではいま囲碁の爆発的ブームが起きている。人口約4300万人のなかで囲碁愛好者は最低でも500万人というから、半端な数字ではない。韓国出身の趙治勲本因坊が日本でタイトルを総ナメにしたことがブームの火付け役になったと言われ、現在は17歳で韓国の国内棋戦を文字通り総ナメにしている李昌鎬(イ・チャンホ)六段の存在が大きい。
若くても多額の賞金を稼げる魅力に加えて、囲碁が脳のバランスある発達に最適という考え方から、親が教育の一環として競って習わせているのだという。子供囲碁教室は約1000校。推定10万人の子供たちが日々碁盤に向かっている。「7歳のとき自営業の父親から教わり、すぐ興味を持った」が、プロを目指したのは15歳で、日本で言えば遅い方だ。ここまで勝ち上がってきたのはもちろん本人の才能と努力もあるが、名実ともに力を付けてきた韓国囲碁界でライバルに恵まれたという背景も見逃せない。囲碁一筋だった生活は今年で終わり。「来年結婚するんです」。ようやく笑顔を見せてくれた。