大韓毎日新聞社主催。1956年創設。2003年(第37期)で終了。韓国では最も古い棋戦。これまでの歴代の戦いは韓国囲碁史の縮図。韓国の棋士は誰もが一度は手にしたいと願うタイトル。コミは第35期より6目半。トーナメント方式は連勝方式(34期まで勝ち抜き方式)。挑戦手合は5番勝負。優勝賞金2000万ウォン、準優勝500万ウォン。(第34期(2000年)のみ3番勝負、優勝賞金900万ウォン、準優勝250万ウォン)。ほかに5連勝で200万ウォン、以後1勝当たり100万ウォンの連勝賞金が出る。
1999年に韓国通信018がスポンサー(後援社)になり再開、2001年6月からスポンサーは国民PASSカードに替わった。
期 | 年 | 優勝者 | コメント |
37 | 2003 | 劉昌赫九段 |
(2003年6月13日)挑戦手合5番勝負第3局は挑戦者・劉昌赫(ユ・チァンヒョク)九段が覇王・李昌鎬(イ・チャンホ)九段を251手まで黒番半目勝ちで下し、3勝0敗で優勝した。 (2003年6月2日)挑戦手合5番勝負第2局は挑戦者・劉昌赫(ユ・チァンヒョク)九段が覇王・李昌鎬(イ・チャンホ)九段を174手まで白番中押勝ちで下した。 (2003年5月26日)挑戦手合5番勝負第1局は挑戦者・劉昌赫(ユ・チァンヒョク)九段が覇王・李昌鎬(イ・チャンホ)九段を131手まで黒番中押勝ちで下した。 (2003年5月13日)挑戦者決定戦は劉昌赫(ユ・チァンヒョク)九段が尹盛鉉八段を253手まで白番1目半勝ちで下し、挑戦者に決定した。 |
36 | 2002 | 李昌鎬九段 |
(2002年5月24日)挑戦手合5番勝負第3局は覇王・李昌鎬(イ・チャンホ)九段が挑戦者・安祚永(アン・チォヨン)七段を217手まで黒番中押勝ちで下し、3勝0敗で優勝したた。 李昌鎬(イ・チャンホ)九段は王位、国手、棋聖、名人、囲碁王、LG精油、覇王の七冠王となった。 (2002年5月13日)挑戦手合5番勝負第2局は覇王・李昌鎬(イ・チャンホ)九段が挑戦者・安祚永(アン・チォヨン)七段を292手まで白番半目勝ちで下した。 (2002年4月22日)挑戦手合5番勝負第1局は覇王・李昌鎬(イ・チャンホ)九段が挑戦者・安祚永(アン・チォヨン)七段を209手まで黒番半目勝ちで下した。 (2002年3月15日)決勝トーナメント戦は安祚永(アン・チォヨン)七段が黄元俊八段を288手まで黒番半目勝ちで下し、挑戦者に決定した。 (2002年1月3日)本戦第12局は劉昌赫(ユ・チァンヒョク)九段が黄元俊八段を252手まで黒番2目半勝ちで下し、12連勝した。 |
35 | 2001 | 李昌鎬九段 |
(3月9日)挑戦手合5番勝負第4局は挑戦者・李昌鎬(イ・チャンホ)九段が覇王・゙薫鉉(チォ・フンヒョン)九段を146手まで白番中押勝ちで下し、3勝1敗で優勝した。 (3月2日)挑戦手合5番勝負第3局は覇王・゙薫鉉(チォ・フンヒョン)九段が挑戦者・李昌鎬(イ・チャンホ)九段を148手まで白番中押勝ちで下した。 (2月23日)挑戦手合5番勝負第2局は挑戦者・李昌鎬(イ・チャンホ)九段が覇王・゙薫鉉(チォ・フンヒョン)九段を202手まで白番中押勝ちで下した。 (1月16日)挑戦手合5番勝負第1局は挑戦者・李昌鎬(イ・チャンホ)九段が覇王・゙薫鉉(チォ・フンヒョン)九段を255手まで黒番7目半勝ちで下した。 (2001年1月12日)本戦第19局は覇王・゙薫鉉九段が李昌鎬(イ・チャンホ)九段を220手まで黒10目半勝ちで下した。この結果、本棋戦21連勝及び完封優勝はならなかった。しかし、今期18連勝で1,500万ウォン(5連勝に200万ウォン、以後1勝当たり100万ウォン)の連勝賞金を獲得した。 (2000年12月18日)本戦第18局は李昌鎬(イ・チャンホ)九段が韓鐘振(ハン・チォンチン)三段を113手まで黒番中押勝ちで下し、18連勝した。この結果、優勝賞金(1,200万ウォン)より多い1,500万ウォン(5連勝で200万ウォン、以後1勝当たり100万ウォン)の連勝賞金を獲得した。 |
34 | 2000 | ゙薫鉉九段 |
(4月3日)挑戦手合3番勝負第3局は覇王・゙薫鉉(チォ・フンヒョン)九段が挑戦者・李聖宰(イ・ソンチェ)五段を256手まで白番4目半勝ちで下し、2勝1敗で優勝した。 (3月17日)挑戦手合3番勝負第2局は覇王・゙薫鉉(チォ・フンヒョン)九段が挑戦者・李聖宰(イ・ソンチェ)五段を205手まで黒番中押勝ちで下した。 (3月9日)挑戦手合3番勝負第1局は挑戦者・李聖宰(イ・ソンチェ)五段が覇王・゙薫鉉(チォ・フンヒョン)九段を139手まで黒番中押勝ちで下した。 (2月11日)挑戦者決定戦は李聖宰(イ・ソンチェ)五段が柳才馨(ユ・チェヒョン)三段を242手まで白1目半勝で下した。 (1月28日)準決勝第2局は柳才馨(ユ・チェヒョン)三段が徐奉洙(ソ・ボンス)九段を140手まで白番中押勝ちで下した。 (1月24日)準決勝第1局は李聖宰(イ・ソンチェ)五段が趙漢乗(チォ・ハンスン)三段を217手まで黒番中押勝ちで下した。 (1999年12月23日)本戦第12局で趙漢乗(チォ・ハンスン)三段が李世石(イ・セトル)三段を187手まで黒番中押勝ちで下し、準決勝に進出した。 (1999年12月23日)本戦第11局で柳才馨(ユ・チェヒョン)三段が韓鐘振(ハン・チォンチン)三段を181手まで黒番中押勝ちで下し、準決勝に進出した。 (1999年12月3日)本戦第10局で李聖宰(イ・ソンチェ)五段が李相勲(イ・サンフン)六段を249手で黒番5目半勝ちで下し、準決勝に進出した。 (1999年11月26日)本戦第9局で徐奉洙(ソ・ボンスー)九段が徐能旭(ソ・ノンウク)九段を212手で白番中押勝ちで下し、準決勝に進出した。 (1999年11月15日)本戦第8局で徐奉洙(ソ・ボンスー)九段が金成龍(キム・スンチゥン)六段を273手で白番2目半勝ちで下し、準々決勝に進出した。 (1999年11月1日)本戦第7局で柳才馨(ユ・チェヒョン)三段が尹盛鉉(ユン・ソンヒョン)六段を242手で白番中押勝ちで下し、準々決勝に進出した。 |
33 | 1998 | ゙薫鉉九段 |
(8月7日)挑戦手合5番勝負第5局は覇王・゙薫鉉(チォ・フンヒョン)九段が挑戦者・李聖宰(イ・ソンチェ)五段を208手までで白勝ちで下し、3勝2敗で優勝した。 Seoul Ilbo (7月29日)挑戦手合5番勝負第4局は覇王・゙薫鉉(チォ・フンヒョン)九段が挑戦者・李聖宰(イ・ソンチェ)五段を180手までで白中押勝ちで下した。 Seoul Ilbo (7月22日)挑戦手合5番勝負第3局は挑戦者・李聖宰(イ・ソンチェ)五段が覇王・゙薫鉉(チォ・フンヒョン)九段を245手までで白勝ちで下した。 Seoul Ilbo (7月15日)挑戦手合5番勝負第2局は挑戦者・李聖宰(イ・ソンチェ)五段が覇王・゙薫鉉(チォ・フンヒョン)九段を254手までで黒半目勝ちで下した。 Seoul Ilbo (7月8日)挑戦手合5番勝負第1局は覇王・゙薫鉉(チォ・フンヒョン)九段が挑戦者・李聖宰(イ・ソンチェ)五段を238手までで黒勝ちで下した。 Seoul Ilbo (1月16日)本戦トーナメントで尹盛鉉(ユン・ソンヒョン)六段が劉昌赫(ユ・チァンヒョク)九段を264手で黒番半目勝ちで下し、準々決勝に進出した。 (1月16日)本戦トーナメントで金成龍(キム・スンチゥン)五段が李煕星(イ・フィソン)二段を245手で黒番半目勝ちで下し、準々決勝に進出した。 (1997年12月16日)第1回戦第4局で李賢旭(イ・ヒョンウク)二段が金栄三(キム・ヨンサム)二段を黒番半目勝ちで下した。 (1997年12月16日)第1回戦第3局で李世石(イ・セドル)初段が金熙中(キム・フィチゥン)九段を252手で黒番11目半勝ちで下した。 (1997年8月7〜11日)本戦進出者12名を決定する 2回戦は、1回戦進出者12名と六段以上の 棋士68名が出場した。李煕星(イ・フィソン)二段、金栄三(キム・ヨンサム)二段、李聖宰(イ・ソンチェ)四段、車敏洙(チァ・ミンス)四段、金日換八段、金成龍(キム・スンチゥン)五段、李賢旭(イ・ヒョンウク)二段等 8名が 16強本戦トーナメント 進出を決めた。残り4名の本戦進出者は 李世石(イ・セドル)初段-洪鍾賢(ホン・チォンヒョン)八段、金熙中(キム・フィチゥン)九段-趙大賢(チォ・テヒョン)八段、姜勲九段-盧永夏(ノ・ヨンハ)八段の勝者と金寅(キム・イン)九段と1回戦未進出者の対局によって決定される。本戦シードは劉昌赫(ユ・チァンヒョク)九段、尹盛鉉(ユン・ソンヒョン)五段、李相勲(イ・サンフン)四段、睦鎮碩(モク・チンソク)三段の4人。 Seoul Ilbo 1997.08.15
(1997年7月22日)1回戦には 五段以下の棋士75名が出場、車敏洙(シャ・ミンス)四段、金栄三(キム・ヨンサム)二段、金成龍(キム・スンチゥン)五段等11名が2回戦に進出した。また対局未了の崔明勲(チゥィ・ミョンフン)五段-パクソンス初段の勝者が2回戦に出場する。
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32 | 1997 | ゙薫鉉九段 | (4月28日)挑戦手合5番勝負第4局が行われ、覇王・゙薫鉉(チォ・フンヒョン)九段が挑戦者・劉昌赫(ユ・チァンヒョク)九段を白番半目勝で下し3勝1敗とした。 |
31 | 1995 | ゙薫鉉九段 | (3月3日)挑戦者・゙薫鉉(チォ・フンヒョン)九段が覇王・李昌鎬(イ・チャンホ)七段を3勝2敗で下した。 |
30 | 1994 | 李昌鎬七段 | 挑戦手合5番勝負は李昌鎬(イ・チャンホ)七段が<劉昌赫(ユ・チァンヒョク)六段を3勝1敗で下した。2連覇。 |
29 | 1993 | 李昌鎬六段 | 李昌鎬(イ・チャンホ)六段が゙薫鉉(チォ・フンヒョン)九段を3勝1敗で下した。 |
28 | 1992 | ゙薫鉉九段 | ゙薫鉉(チォ・フンヒョン)九段が尹盛鉉(ユン・ソンヒョン)三段を3勝1敗で下した。 |
27 | 1991 | ゙薫鉉九段 | 挑戦手合5番勝負ば薫鉉(チォ・フンヒョン)九段が徐能旭(ソ・ノンウク)九段を3勝0敗で下した。 |
26 | 1990 | ゙薫鉉九段 | (12月24日)挑戦手合5番勝負ば薫鉉(チォ・フンヒョン)九段が張秀英(チャン・スーヨン)九段を3勝0敗で下した。13度目の防衛を果たした。 |
25 | 1989 | ゙薫鉉九段 | 覇王・゙薫鉉(チォ・フンヒョン)九段が呉圭哲(オ・キュチォル)三段を3勝0敗で下した。 |
24 | 1988 | ゙薫鉉九段 | 覇王・゙薫鉉(チォ・フンヒョン)九段に李昌鎬(イ・チャンホ)三段が初めて挑戦したが3勝0敗で下された。 |
23 | 1987 | ゙薫鉉九段 | ゙薫鉉(チォ・フンヒョン)九段が梁宰豪(ヤン・ジエホ)六段を3勝0敗で下した。 |
22 | 1986 | ゙薫鉉九段 | ゙薫鉉(チォ・フンヒョン)九段が>徐奉洙(ソ・ボンス)九段を3勝1敗で下した。 |
21 | 1985 | ゙薫鉉九段 | ゙薫鉉(チォ・フンヒョン)九段が>徐奉洙(ソ・ボンス)八段を3勝1敗で下した。 |
20 | 1984 | ゙薫鉉九段 | ゙薫鉉(チォ・フンヒョン)九段が姜勲(カン・フン)五段を3勝0敗で下した。 |
19 | 1983 | ゙薫鉉九段 | ゙薫鉉(チォ・フンヒョン)九段が>徐奉洙(ソ・ボンス)七段を3勝0敗で下した。 |
18 | 1982 | ゙薫鉉九段 | ゙薫鉉(チォ・フンヒョン)九段が>徐奉洙(ソ・ボンス)七段を3勝0敗で下した。 |
17 | 1981 | ゙薫鉉八段 | ゙薫鉉(チォ・フンヒョン)八段が姜勲(カン・フン)四段を3勝1敗で下した。 |
16 | 1980 | ゙薫鉉八段 | ゙薫鉉(チォ・フンヒョン)八段が姜勲(カン・フン)四段を3勝0敗で下した。 |
15 | 1979 | ゙薫鉉八段 | ゙薫鉉(チォ・フンヒョン)八段が河燦錫(ハ・チャンソク)七段を3勝0敗で下した。 |
14 | 1978 | ゙薫鉉七段 | ゙薫鉉(チォ・フンヒョン)七段が金寅(キム・イン)八段を3勝0敗で下した。 |
13 | 1977 | ゙薫鉉七段 | ゙薫鉉(チォ・フンヒョン)七段が金寅(キム・イン)八段を3勝1敗で下した。 |
12 | 1976 | 金寅八段 | 金寅(キム・イン)八段が尹奇鉉(ユン・キヒョン)七段を3勝2敗で下した。 |
11 | 1971 | 金寅七段 | 金寅(キム・イン)七段が尹奇鉉(ユン・キヒョン)七段を3勝0敗で下した。 |
10 | 1970 | 金寅七段 | 金寅(キム・イン)七段が趙南哲(チォ・ナムチォル)八段を3勝0敗で下した。 |
9 | 1969 | 金寅七段 | 金寅(キム・イン)七段が金在九(キム・チエク)五段を3勝1敗で下した。 |
8 | 1968 | 金寅六段 | 金寅(キム・イン)六段が姜哲民(カン・チョルミン)四段を3勝1敗で下した。 |
7 | 1967 | 金寅六段 | 金寅(キム・イン)六段が姜哲民(カン・チョルミン)四段を下した。 |
6 | 1965 | 金寅五段 | 金寅(キム・イン)五段がチォンチァンヒョン(Seong Chang-hyun)三段を下した。 |
5 | 1964 | チォンチァンヒョン三段 | チォンチァンヒョン(Seong Chang-hyun)三段が尹奇鉉(ユン・キヒョン)四段を下した。 |
4 | 1962 | 趙南哲八段 | 趙南哲(チォ・ナムチォル)八段がイチャンセ三段を下した。 |
3 | 1961 | 趙南哲七段 | 趙南哲(チォ・ナムチォル)七段がキムテヒョン三段を下した。 |
2 | 1960 | 趙南哲七段 | 趙南哲(チォ・ナムチォル)七段がソセンヨン四段を下した。 |
1 | 1959 | 趙南哲六段 | 趙南哲(チォ・ナムチォル)六段がキムミョンファン四段を下した。 |