応昌期基金主催。台湾経済界の重鎮・応昌期氏(1997年死亡)が私財を投じて創設した国際棋戦。4年に一度オリンピックの年に開催される。各国予選は行われず、応氏の招待という形で選手が選定される。コミは8目ジゴ白勝ち(実質コミ7目半)の応氏計点制囲碁ルール。持ち時間は各3時間30分。優勝賞金は40万米ドル(4000万円)。
応氏計点制囲碁ルールとは、5目半では黒番有利という応昌期氏の持論から生れた無勝負をなくすのが目的のルール。1目は1点。コミは8点ジゴ白勝ち(実質コミ7目半)。握って当たった方が任意に手番を選択する。3時間30分の持ち時間を使い切ったら30分ずつ三回まで延長できる。その際2目のコミを出す(延長時間コミ出し)という独特のもの。
期 | 年 | 優勝者 | コメント |
8 | 2016 | 中国・唐韋星九段(23) |
(2016年10月26日)決勝5番勝負第5局(中国上海市)が行われた。 [韓]朴廷桓九段(23)●−○[中]唐韋星九段(23), B+5 (313手,黒、白方超時各罰二点) (2016年10月24日)決勝5番勝負第4局(中国上海市)が行われた。 [韓]朴廷桓九段(23)●−○[中]唐韋星九段(23), W+11 (319手) (2016年10月22日)決勝5番勝負第3局(中国上海市)が行われた。 [韓]朴廷桓九段(23)○−●[中]唐韋星九段(23), W+7 (305手) (2016年8月12日)決勝5番勝負第2局(中国北京市)が行われた。 [韓]朴廷桓九段(23)●−○[中]唐韋星九段(23), W+3 (282手,黒超時:各罰4点) (2016年8月10日)決勝5番勝負第1局(中国北京市)が行われた。 [韓]朴廷桓九段(23)○−●[中]唐韋星九段(23), W+3 (286手,黒白超時:各罰4点) (2016年6月14日)準決勝3番勝負第3局(湖北省武漢市)が行われた。 [中]時越 九段(25)●−○[中]唐韋星九段(23), B+R (157手,黒罰2点) [韓]李世石九段(33)●−○[韓]朴廷桓九段(23), B+3 (285手) (2016年6月12日)準決勝3番勝負第2局(湖北省武漢市)が行われた。 [中]時越 九段(25)○−●[中]唐韋星九段(23), B+3 (325手,白罰2点) [韓]李世石九段(33)○−●[韓]朴廷桓九段(23), W+R (164手) (2016年6月10日)準決勝3番勝負第1局(湖北省武漢市)が行われた。 [中]時越 九段(25)●−○[中]唐韋星九段(23), B+R (169手) [韓]李世石九段(33)●−○[韓]朴廷桓九段(23), W+R (186手) (2016年4月24日)8強戦(第3回戦)(上海)が行われた。韓国2勝2敗、中国2勝1敗、日本0勝1敗だった。 [中]時越 九段(25)○−●[日]河野臨九段(35), B+R (215手) [中]唐韋星九段(23)○−●[韓]金志錫九段(26), B+R (203手,各罰二点) [韓]姜東潤九段(27)●−○[韓]李世石九段(33), B+5 (266手) [中]柯潔 九段(18)●−○[韓]朴廷桓九段(23), W+1 (293手,白罰二点) (2016年4月22日)16強戦(第2回戦)(上海)が行われた。韓国4勝2敗、中国3勝3敗、日本1勝1敗、台湾0勝2敗だった。 [中]范廷ト 九段(19)●−○[中]時越 九段(25), B+1 (284手) [日]河野臨 九段(35)○−●[韓]朴永訓九段(31), W+R (158手) [日]羽根直樹九段(39)●−○[中]唐韋星九段(23), B+3 (293手) [中]半c廷 九段(20)●−○[韓]金志錫九段(26), W+R (296手) [韓]姜東潤 九段(27)○−●[韓]元晟湊九段(30), W+R (152手) [韓]李世石 九段(33)○−●[台]林立祥七段(22), W+R (144手) [台]王元均 七段(20)●−○[中]柯潔 九段(18), B+1 (263手) [中]黄雲嵩 四段(19)●−○[韓]朴廷桓九段(23), W+R (188手) (2016年4月20日)28強戦(第1回戦)(上海)が行われた。中国5勝5敗、韓国5勝1敗、日本2勝4敗、台湾2勝0敗、その他0勝4敗だった。 [中]時越 九段(25)○−●[日]山下敬吾九段(37), B+R (253手) [中]陳耀Y九段(26)●−○[日]河野臨 九段(35), W+5 (289手) [中]古力 九段(33)●−○[韓]朴永訓 九段(31), B+R (219手) [米]呂浩鈞初段(27)●−○[日]羽根直樹九段(39), W+R (142手) [中]唐韋星九段(23)○−●[日]結城聡 九段(44), W+5 (281手) [中]半c廷九段(20)○−●[欧]樊麾 二段(34), W+R (130手) [中]連笑 七段(22)●−○[韓]金志錫 九段(26), W+R (204手) [中]邱峻 九段(33)●−○[韓]姜東潤 九段(27), W+R (224手) [中]柁嘉熹九段(25)●−○[韓]元晟湊 九段(30), W+R (236手) [米]劉志遠初段(25)●−○[韓]李世石 九段(33), W+R (156手) [台]林立祥七段(22)○−●[韓]羅玄 六段(21), B+R (133手) [台]王元均七段(20)○−●[欧]Mateusz Surma初段, W+R (160手) [中]柯潔 九段(18)○−●[日]張栩 九段(36), W+R (214手) [中]黄雲嵩四段(19)○−●[日]蘇耀國 九段(36), B+R (179手) |
7 | 2012 | 中国・范廷ト三段(16) |
(2013年3月6日)決勝5番勝負第4局(上海)が行われ、中国・范廷ト三段(16)が3勝1敗で優勝した。 韓国・朴廷桓九段(19)●−○中国・范廷ト三段(16), B+R ( 手) (2013年3月4日)決勝5番勝負第3局(上海)が行われた。 韓国・朴廷桓九段(19)●−○中国・范廷ト三段(16), W+R (178手) (2012年12月24日)決勝5番勝負第2局(シンガポール)が行われた。 韓国・朴廷桓九段(19)○−●中国・范廷ト三段(16), W+R (156手) (2012年12月22日)決勝5番勝負第1局(シンガポール)が行われた。 韓国・朴廷桓九段(19)●−○中国・范廷ト三段(16), W+R (180手) (2012年9月26日)準決勝戦3番勝負第3局(都江堰)が行われた。 中国・謝赫九段(28)●−○中国・范廷ト三段(16), B+R (163手) (2012年9月25日)準決勝戦3番勝負第2局(都江堰)が行われた。 中国・謝赫九段(28)●−○中国・范廷ト三段(16), B+5 (281手,白罰2点) 韓国・朴廷桓九段(19)○−●韓国・李昌鎬九段(37), W+R (220手) (2012年9月23日)準決勝戦3番勝負第1局(都江堰)が行われた。 中国・謝赫九段(28)○−●中国・范廷ト三段(16)(中国), B+R (159手) 韓国・朴廷桓九段(19)○−●韓国・李昌鎬九段(37), B+R (187手) (2012年5月27日)8強戦(第3回戦)(台北)が行われた。 范廷ト三段(中国)○−●檀嘯七段(中国) 謝赫九段(中国)○−●古力九段(中国) 朴廷桓九段(韓国)○−●趙治勲九段(日本) 李昌鎬九段(韓国)○−●張栩九段(中華台北) (2012年5月25日)16強戦(第2回戦)(台北)が行われた。 檀嘯七段(中国)○−●崔哲瀚(チェ・チョルハン)九段(韓国):黒番5目勝ち 范廷ト三段(中国)○−●李世石(イ・セドル)九段(韓国):黒番中押勝ち 古力九段(中国)○−●元晟湊(ウォン・ソンジン)九段(韓国):白番3目勝ち 謝赫九段(中国)○−●江維傑九段(中国):黒番中押勝ち 朴廷桓九段(韓国)○−●朴文尭九段(中国):黒番中押勝ち 趙治勲九段(日本)○−●劉星七段(中国):白番中押勝ち 張栩九段(中華台北)○−●邱峻九段(中国):黒番5目勝ち 李昌鎬九段(韓国)○−●孔傑九段(中国):黒番1目勝ち (2012年5月23日)24強戦(第1回戦)(台北)が行われた。 邱峻九段(中国)○−●金志錫(キム・ジソク)八段(韓国) :白番1目勝ち(白罰点4目) 元晟湊(ウォン・ソンジン)九段(韓国)○−●陳耀Y九段(中国):黒番中押勝ち 劉星七段(中国)○−●結城聡九段(日本):白番中押勝ち 范廷ト三段(中国)○−●高尾紳路九段(日本) :黒番3目勝ち(白罰点2目) 朴廷桓九段(韓国)○−●ヒューレン・ヤン初段(北米):黒番9目勝ち 謝赫九段(中国)○−●タラヌ・カタリン五段(欧州):黒番中押勝ち 檀嘯七段(中国)○−●王元均四段(中華台北):白番中押勝ち 孔傑九段(中国)○−●羽根直樹九段(日本) :黒番1目勝ち (2012年4月22日)日本代表は日本棋院の推薦で、羽根直樹九段、趙治勲九段、高尾紳路九段、結城聡九段の4人に決定した。張栩九段は台湾代表で出場する。 (2012年3月7日)韓国代表は選抜戦の結果、李昌鎬(イ・チャンホ)、李世石(イ・セドル)、崔哲瀚(チェ・チョルハン)、朴廷桓(パク・ジョンファン)、元晟湊(ウォン・ソンジン)、金志錫(キム・ジソク)の6人に決定した。 |
6 | 2008 | 崔哲瀚九段(韓国) |
(2009年4月23日)決勝5番勝負第4局(台湾)が行われ、崔哲瀚九段(韓国)が3勝1敗で優勝した。 崔哲瀚九段(韓国)○−●李昌鎬九段(韓国):184手白番中押勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2009年3月7日)決勝5番勝負第3局(シンガポール)が行われた。 崔哲瀚九段(韓国)○−●李昌鎬九段(韓国):191手黒番中押勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2009年3月5日)決勝5番勝負第2局(シンガポール)が行われた。 崔哲瀚九段(韓国)○−●李昌鎬九段(韓国):300手白番6点勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2009年3月3日)決勝5番勝負第1局(シンガポール)が行われた。 李昌鎬九段(韓国)○−●崔哲瀚九段(韓国):261手白番2点勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2008年9月25日)準決勝3番勝負第2局が行われ、李昌鎬九段(韓国)と崔哲瀚九段(韓国)が勝ち抜けた。 李昌鎬九段(韓国)○−●李世石九段(韓国):295手黒番中押勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 崔哲瀚九段(韓国)○−●劉星七段(中国):163手黒番中押勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2008年9月23日)準決勝3番勝負第1局が行われた。 李昌鎬九段(韓国)○−●李世石九段(韓国):242手白番中押勝ち 棋譜 崔哲瀚九段(韓国)○−●劉星七段(中国):232手白番中押勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2008年5月4日)八強戦(上海)が行われた。 李昌鎬九段(韓国)○−●趙治勲九段(日本) 李世石九段(韓国)○−●孔傑七段(中国) 劉星七段(中国)○−●朴永訓九段(韓国) 崔哲瀚九段(韓国)○−●朴文尭五段(中国) (2008年5月2日)第2回戦(上海)が行われた。 趙治勲九段(日本)○−●常昊九段(中国) 李昌鎬九段(韓国)○−●謝赫七段(中国) 孔傑七段(中国)○−●王磊八段(中国) 李世石九段(韓国)○−●周鶴洋九段(中国) 朴永訓九段(韓国)○−●彭筌七段(中国) 劉星七段(中国)○−●王銘宛九段(日本) 朴文尭五段(中国)○−●宋泰坤八段(韓国) 崔哲瀚九段(韓国)○−●古力九段(中国) (2008年4月30日)第1回戦(上海)が行われた。 李世石九段(韓国)○−●胡耀宇八段(中国) 謝赫七段(中国)○−●李映九七段(韓国) 王磊八段(中国)○−●高尾紳路九段(日本) 古力九段(中国)○−●山下敬吾九段(日本) 趙治勲九段(日本)○−●張栩九段(台湾) 朴永訓九段(韓国)○−●周俊勲九段(台湾) 劉星七段(中国)○−●江鳴久七段(米国) 朴文尭五段(中国)○−●タラヌ・カタリン五段(欧州) (2008年4月29日)欧州代表は急遽、樊麾二段からタラヌ・カタリン五段に交代した。(理由不明) (2008年3月28日)出場選手決定。 中国10人:常昊九段 彭筌七段 孔傑七段 周鶴洋九段(前回ベスト8)古力九段 劉星七段 胡耀宇八段 謝赫七段 王磊八段 朴文尭五段 中国台北2人:張栩九段 周俊勲九段 韓国6人:崔哲瀚九段 宋泰坤八段 李昌鎬九段(前回ベスト8)李世石九段、朴永訓九段、李映九七段 日本4人:王銘宛九段(前回ベスト8)趙治勲九段 高尾紳路九段 山下敬吾九段 欧州1人:樊麾二段 米国1人:江鳴久七段 (2008年1月31日)台湾代表は周俊勲九段に決定した。 |
5 | 2004 | 中国・常昊九段 |
(2005年3月5日)決勝5番勝負第4局(中国・北京)は中国・常昊九段が韓国・崔哲瀚九段を314手まで黒番3点勝ちで下し、3勝1敗で初優勝した。
→棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2005年3月3日)決勝5番勝負第3局(中国・北京)は中国・常昊九段が韓国・崔哲瀚九段を172手まで白番中押勝ちで下した。 →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2004年12月28日)決勝5番勝負第2局(韓国・ソウル)は中国・常昊九段が韓国・崔哲瀚九段を179手まで黒番中押勝ちで下した。 →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2004年12月26日)決勝5番勝負第1局(韓国・ソウル)は韓国・崔哲瀚九段が中国・常昊九段を227手まで黒番中押勝ちで下した。 →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2004年9月10日)準決勝3番勝負第3局(中国・貴陽)が行われた。 常昊九段(中国)○−●宋泰坤七段(韓国)(18):238手まで白番5点勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 崔哲瀚八段(韓国)(19)○−●彭筌五段(中国):263手まで白番13点勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2004年9月8日)準決勝3番勝負第2局(中国・貴陽)が行われた。 常昊九段(中国)○−●宋泰坤七段(韓国)(18):141手まで黒番中押勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 彭筌五段(中国)○−●崔哲瀚八段(韓国)(19):251手まで白番13点勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2004年9月6日)準決勝3番勝負第1局(中国・貴陽)が行われた。 宋泰坤七段(韓国)(18)○−●常昊九段(中国):269手まで黒番中押勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 崔哲瀚八段(韓国)(19)○−●彭筌五段(中国):246手まで白番中押勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2004年4月24日)準々決勝戦(上海)が行われた。 崔哲瀚八段(韓国)○−●李昌鎬九段(韓国):321手黒5点勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 彭筌五段(中国)○−●周鶴洋九段(中国):200手白番中押勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 宋泰坤七段(韓国)○−●王銘宛九段(日本):104手白中押勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 常昊九段(中国)○−●孔傑七段(中国):272手白番中押勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2004年4月22日)第2回戦(上海)が行われた。 李昌鎬九段(韓国)○−●山下敬吾九段(日本):251手白番3点勝ち 常昊九段(中国)○−●劉昌赫九段(韓国):113手黒中押勝ち 崔哲瀚八段(韓国)○−●馬暁春九段(中国):256手黒3点勝ち 宋泰坤七段(韓国)○−●兪斌九段(中国):236手白中押勝ち 孔傑七段(中国)○−●林海峰九段(日本):153手黒中押勝ち 周鶴洋九段(中国)○−●大竹英雄九段(日本):白番1点勝ち 彭筌五段(中国)○−●依田紀基九段(日本):209手黒中押勝ち 王銘宛九段(日本)○−●周俊勲九段(台湾):305手黒1点勝ち (2004年4月20日)第1回戦(上海)が行われた。 劉昌赫九段(韓国)○−●劉星六段(中国):189手黒中押勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 孔傑七段(中国)○−●李世石九段(韓国):327手黒3点勝 →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 崔哲瀚八段(韓国)○−●羽根直樹九段(日本):169手黒中押勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 宋泰坤六段(韓国)○−●張栩九段(台湾):279手白番3点勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 周鶴洋九段(中国)○−●車敏洙四段(米国):白番3点勝ち 山下敬吾(日本)○−●古力七段(中国):白番1点勝ち 彭筌五段(中国)○−●王立誠九段(日本):黒番3点勝ち 周俊勲九段(台湾)○−●シャシャ初段(欧州): (2004年2月21日)各国出場選手24人が発表された。 中国代表選手は常昊九段、馬暁春九段、兪斌九段(以上、シード)、周鶴洋九段、古力七段、孔傑七段、彭筌五段、劉星六段の8人。日本代表選手は林海峰、王銘宛九段、大竹英雄九段、依田紀基九段(以上、シード)、王立誠九段、山下敬吾、羽根直樹の7人。韓国代表選手は李昌鎬九段(前回優勝)、李世石、劉昌赫九段、崔哲瀚、宋泰坤の5人。中国台北代表選手は張栩、周俊勲九段の2人。米国代表選手は車敏洙、欧州代表選手はアレクサンダー・ディナースタイン初段。 |
4 | 2000 | 韓国・李昌鎬九段 |
(2001年2月16日)決勝5番勝負第4局(上海)は韓国・李昌鎬九段が中国・常昊九段を304手まで黒3点勝ちで下し、3勝1敗で優勝した。 (2001年2月14日)決勝5番勝負第3局(上海)は中国・常昊九段が韓国・李昌鎬九段を129手まで黒中押勝ちで下した。 (2000年11月3日)決勝5番勝負第2局(中国・成都)は韓国・李昌鎬九段が中国・常昊九段を328手まで黒1点勝ちで下した。 歴代戦績は李昌鎬九段が常昊九段に13勝1敗となり、12連勝中である。 (2000年11月1日)決勝5番勝負第1局(中国・成都)は韓国・李昌鎬九段が中国・常昊九段を306手まで白7点勝ちで下した。 (2000年8月26日)準決勝3番勝負第3局(韓国・江陵 現代ホテル)が行われた。 常昊九段(中国)○−●王銘宛九段(台湾):159手まで黒番中押勝ち →棋譜(JAVA形式) from 飛揚囲碁 (2000年8月24日)準決勝3番勝負第2局(韓国・江陵 現代ホテル)が行われた。 王銘宛九段(台湾)○−●常昊九段(中国):224手まで黒番3点勝ち →棋譜(JAVA形式) from 飛揚囲碁 李昌鎬九段(韓国)○−●兪斌九段(中国):205手まで黒番中押勝ち →棋譜(JAVA形式) from 飛揚囲碁 (2000年8月22日)準決勝3番勝負第1局(韓国・江陵 現代ホテル)が行われた。3番勝負の対局料は2.5万ドル(250万円)。 常昊九段(中国)○−●王銘宛九段(台湾):119手まで黒番中押勝ち →棋譜(JAVA形式) from 飛揚囲碁 李昌鎬九段(韓国)○−●兪斌九段(中国):243手まで白番5点勝ち →棋譜(JAVA形式) from 飛揚囲碁 (2000年5月4日)八強戦(ベスト8)が上海で行われた。 王銘宛九段(台湾)○−●馬暁春九段(中国) :263手まで黒番3点勝ち→棋譜(JAVA形式) 兪斌九段(中国)○−●大竹英雄九段(日本) :281手まで黒番9点勝ち→棋譜(JAVA形式) 李昌鎬九段(韓国)○−●依田紀基九段(日本) :265手まで黒番3点勝ち→棋譜(JAVA形式) 常昊九段(中国)○−●林海峰九段(日本) :167手まで黒番中押勝ち→棋譜(JAVA形式) (2000年5月2日)第2回戦(ベスト8)が上海で行われた。 大竹英雄九段(日本)○−●劉昌赫九段(韓国) :180手まで白番中押勝ち→棋譜(JAVA形式) 李昌鎬九段(韓国)○−●王立誠九段(日本) :162手まで白番中押勝ち→棋譜(JAVA形式) 常昊九段(中国)○−●武宮正樹九段(日本) :174手まで白番中押勝ち 林海峰九段(日本)○−●崔明勲七段(韓国) :206手まで白番中押勝ち 兪斌九段(中国)○−●趙治勲九段(日本) :151手まで黒番中押勝ち→棋譜(JAVA形式) 馬暁春九段(中国)○−●淡路修三九段(日本) :275手まで黒番中押勝ち 王銘宛九段(台湾)○−●゙薫鉉九段(韓国) :281手まで白番3点勝ち 依田紀基九段(日本)○−●邵偉剛九段(中国) :256手まで黒番1点勝ち→棋譜(JAVA形式) (2000年4月30日)第1回戦(ベスト16)が上海で行われた。 淡路修三九段(日本)○−●周俊勲九段(1品)(台湾) :182手まで白番中押勝ち→棋譜(JAVA形式) 大竹英雄九段(日本)○−●タラヌ・カタリン四段(欧州) :288手まで白番3点勝ち→棋譜(JAVA形式) 兪斌九段(中国)○−●徐奉洙九段(韓国) :187手まで黒番中押勝ち→棋譜(SGF形式) 崔明勲七段(韓国)○−●゙大元九段(中国) :128手まで白番中押勝ち→棋譜(SGF形式) 王立誠九段(日本)○−●劉小光九段(中国) :231手まで黒番中押勝ち→棋譜(JAVA形式) 王銘宛九段(台湾)○−●梁宰豪九段(韓国) :153手まで黒番中押勝ち→棋譜(JAVA形式) 邵偉剛九段(中国)○−●内廼偉九段(米国) :269手まで白番5点勝ち→棋譜(JAVA形式) 常昊九段(中国)○−●江鋳久九段(米国) :162手まで白番中押勝ち→棋譜(JAVA形式) |
3 | 1996 | 韓国・劉昌赫九段 |
(11月6日)決勝5番勝負第4局は韓国・劉昌赫九段が日本・依田紀基九段を下し、3勝1敗で優勝した。 (8月12〜14日)準決勝3番勝負が行われた。 第一試合はは韓国・劉昌赫九段が日本・林海峰九段を2勝0敗で下し、第二試合は日本・依田紀基九段が日本・趙治勲九段を2勝1敗で下した。 (6月4日)準々決勝戦が行われた。 依田紀基九段(日本)○−●゙薫鉉九段(韓国) 趙治勲九段(韓国)○−●馬暁春九段(中国) 林海峰九段(台湾)○−●武宮正樹九段(日本) 劉昌赫九段(韓国)○−●李昌鎬九段(韓国) (4月26日)第2回戦が中国・上海で行われた。 依田紀基八段(日本)○−●徐奉洙九段(韓国) ゙薫鉉九段(韓国)○−●淡路修三九段(日本) 趙治勲九段(韓国)○−●江鋳久九段(中国) 馬暁春九段(中国)○−●梁宰豪九段(韓国) 林海峰九段(台湾)○−●曹大元九段(中国) 武宮正樹九段(日本)○−●劉小光九段(中国) 李昌鎬九段(韓国)○−●内廼偉九段(中国) 劉昌赫九段(韓国)○−●大竹英雄九段(日本) (4月24日)第1回戦が中国・上海で行われた。 依田紀基八段(日本)○−●Mレドモンド七段(米国) ゙薫鉉九段(韓国)○−●張文東九段(中国) 江鋳久九段(中国)○−●周俊勲(台湾) 馬暁春九段(中国)○−●陳嘉鋭(中国) 曹大元九段(中国)○−●王銘宛(台湾) 劉小光九段(中国)○−●藤沢秀行九段(日本) 李昌鎬九段(韓国)○−●兪斌(中国) 劉昌赫九段(韓国)○−●王立誠(台湾) |
2 | 1992 | 韓国・徐奉洙九段 |
(1993年5月20日)決勝5番勝負第5局(シンガポール)は韓国・徐奉洙九段が日本・大竹英雄九段を219手まで黒番中押勝ちで下し、3勝2敗で優勝した。 (1993年5月18日)決勝5番勝負第4局(シンガポール)は日本・大竹英雄九段が韓国・徐奉洙九段を284手まで黒番9点勝ちで下した。 (1993年5月16日)決勝5番勝負第3局(シンガポール)は韓国・徐奉洙九段が日本・大竹英雄九段を119手まで黒番中押勝ちで下した。 (1993年3月19日)決勝5番勝負第2局(韓国済州島)は韓国・徐奉洙九段が日本・大竹英雄九段を白番2点勝ちで下した。 (1993年3月18日)決勝5番勝負第1局(韓国済州島)は日本・大竹英雄九段が韓国・徐奉洙九段を白番7点勝ちで下した。 (1993年3月9.11日)準決勝3番勝負第3局(台北)が行われた。 日本・大竹英雄九段○−●中国・内廼偉九段:2勝1敗 韓国・徐奉洙九段○−●日本・趙治勲九段:2勝1敗 (1992年11月??日)準決勝3番勝負第2局(台北)が行われた。 日本・大竹英雄九段●−○中国・内廼偉九段 韓国・徐奉洙九段●−○日本・趙治勲九段 (1992年11月??日)準決勝3番勝負第1局(台北)が行われた。 日本・大竹英雄九段○−●中国・内廼偉九段 韓国・徐奉洙九段○−●日本・趙治勲九段 (1992年8月??日)準々決勝戦残り一局が行われた。 徐奉洙九段(韓国)○−●武宮正樹九段(日本) (1992年7月21日)準々決勝戦が行われた。 大竹英雄九段(日本)○−●林海峰九段(日本) 内廼偉九段(中国)○−●梁宰豪八段(韓国) 趙治勲九段(日本)○−●淡路修三九段(日本) (1992年?月?日)第2回戦が行われた。 内廼偉九段(中国)○−●李昌鎬(韓国) 梁宰豪八段(韓国)○−●江鋳久九段(中国) 林海峰九段(台湾)○−●依田紀基八段(日本) 大竹英雄九段(日本)○−●陳嘉鋭七段(台湾) 徐奉洙九段(韓国)○−●藤沢秀行九段(日本) 武宮正樹九段(日本)○−●王銘宛九段(台湾) 淡路修三九段(日本)○−●゙薫鉉九段(韓国) 趙治勲九段(韓国)○−●劉昌赫(韓国) (1992年7月13日)第1回戦(東京)が行われた。 内廼偉九段(中国)○−●小松英樹八段(日本) 梁宰豪八段(韓国)○−●Mレドモンド七段(米国) 依田紀基八段(日本)○−●呉淞笙九段(韓国) 陳嘉鋭七段(台湾)○−●橋本昌二九段(日本) 徐奉洙九段(韓国)○−●鄭銘皇八段(台湾) 王銘宛九段(台湾)○−●石井邦生九段(日本) 淡路修三九段(日本)○−●王立誠九段(台湾) 劉昌赫(韓国)○−●彭景華五段(台湾) (1992年7月13日)第1回戦が東京で行われた。出場棋士は日本8人(武宮正樹九段、藤沢秀行九段、大竹英雄九段、橋本昌二九段、石井邦生九段、淡路修三九段、依田紀基八段、小松英樹八段)、韓国6人(趙治勲九段、徐奉洙九段、゙薫鉉九段、梁宰豪八段、劉昌赫、李昌鎬)、中華台北5人(王立誠九段、王銘宛九段、鄭銘皇八段、陳嘉鋭七段、彭景華五段)、その他5人(呉淞笙九段、林海峰九段、内廼偉九段、江鋳久九段、Mレドモンド七段)の計24人。今期は中国国内在住の棋士は出場しない。優勝賞金は40万ドル。 |
1 | 1988 | 韓国・゙薫鉉九段 |
(1989年9月5日)決勝5番勝負第5局(於:シンガポール)は韓国・゙薫鉉九段が中国・聶衛平九段を145手まで黒番中押勝ちで下し、3勝2敗で優勝した。 (1989年9月2日)決勝5番勝負第4局(於:シンガポール)は韓国・゙薫鉉九段が中国・聶衛平九段を318手まで黒番1点勝ちで下した。 (1989年5月2日)決勝5番勝負第3局(於:中国・寧波)は中国・聶衛平九段が韓国・゙薫鉉九段を黒番2目半勝ちで下した。 (1989年4月27日)決勝5番勝負第2局(於:中国・杭州)が行われた。 (1989年4月25日)決勝5番勝負第1局(於:中国・杭州)が行われた。 (1988年11月22日)準決勝3番勝負第2局(ソウル)が行われた。 聶衛平九段(中国)○−●藤沢秀行九段(日本):白番半目 ゙薫鉉九段(韓国)○−●林海峰九段(台湾):黒番5目半 (1988年11月20日)準決勝3番勝負第1局(ソウル)が行われた。 聶衛平九段(中国)○−●藤沢秀行九段(日本):黒番2目半 ゙薫鉉九段(韓国)○−●林海峰九段(台湾):白番中押し (1988年8月23日)準々決勝戦が北京で行われた。 聶衛平九段(中国)○−●趙治勲九段(韓国):黒番中押し 藤沢秀行九段(日本)○−●加藤正夫九段(日本):白番5目半 ゙薫鉉九段(韓国)○−●小林光一九段(日本):黒番1目半 林海峰九段(台湾)○−●江鋳久九段(中国):白番中押し (1988年8月21日)第1回戦が北京で行われた。 小林光一九段(日本)○−●王立誠八段(台湾):黒番2目半 ゙薫鉉九段(韓国)○−●王銘宛八段(韓国):黒番中押し 加藤正夫九段(日本)○−●劉小光九段(中国):白番中押し 藤沢秀行九段(日本)○−●馬暁春九段(中国):黒番中押し 江鋳久九段(中国)○−●武宮正樹九段(日本):白番7目半 聶衛平九段(中国)○−●Mレドモンド五段(米国):黒番中押し 林海峰九段(台湾)○−●橋本昌二九段(日本):黒番1目半 趙治勲九段(韓国)○−●呉淞笙九段(豪州):白番1目半 (1988年8月19日)世界プロ囲碁選手権は、香港汎太平洋囲碁会(葉謀遵会長)の主催。オリンピックと同じように、四年に一度開かれる予定で今年はその1回目。持ち時間各3時間、応昌期ルール、先番7目半コミ出し。優勝者には40万ドル(5200万円)、準優勝者には10万ドルが贈られる。 日本、中国、韓国、台湾、オーストラリア、アメリカの5か国1地域から16選手が参加する。中国と国交のない韓国の選手が中国入りするのはもちろん初めてだが、台湾の選手が中国で試合をするのは、あらゆる競技を通じて初めて。出場選手は同会の選抜で、日本からは小林光一棋聖、加藤正夫名人、武宮正樹本因坊、藤沢秀行名誉棋聖、橋本昌二九段の五人、中国は聶衛平、馬暁春、曹大元、劉小光の各九段、韓国からは趙治勲、゙薫鉉九段、台湾は林海峰九段、王立誠、王銘宛八段、オーストラリアは呉淞笙九段、アメリカはマイケル・レドモンド五段の16人が、それぞれ国、地域ごとに選ばれた。選手は8月19日に北京入りして20日に抽選、21日に一回戦8局、23日に準々決勝4局が打たれることになっている。 (1987年8月17日)応昌期氏は優勝賞金40万ドルの世界プロ囲碁選手権を行うと新聞に発表した。聶衛平日中スーパー囲碁戦で日本の高手を倒すなど、中国棋士が日本棋士に拮抗して来たことから国際棋戦の開催を決心したという。 |