依田紀基
よだ のりもと
依田纪基
Yoda Norimoto
yitian jiji
1966年2月11日生
O型 左利き
北海道美唄市出身
美唄市生まれ、岩見沢市育ち。安藤武夫六段門下。1976年院生。1980年入段(14歳)。1981年4月二段。1981年9月三段。1982年四段。1983年五段。1985年六段。1987年七段。1990年八段。1993年10月29日九段。2004年通算800勝達成(入段から24年4ヶ月で達成、史上最速記録)。2007年6月2日通算900勝(421敗2持碁2無勝負)達成(入段から27年2ヶ月で達成、史上最速記録)。2011年通算1000勝達成。
奥様は原幸子四段。
2012年12月31日現在通算成績=1029勝524敗2ジゴ1無勝負
2013年46歳??勝??敗通算???勝??敗
2012年45歳15勝15敗通算1029勝524敗2ジゴ1無勝負
2011年44歳25勝12敗通算1014勝509敗2ジゴ1無勝負2011年7月21日1000勝498敗2ジゴ2無勝負。
2010年43歳18勝14敗通算989勝497敗2ジゴ1無勝負
2009年43歳28勝18敗通算971勝483敗2ジゴ1無勝負
2008年42歳26勝23敗通算943勝465敗2ジゴ1無勝負
2007年41歳33勝24敗通算917勝442敗2ジゴ1無勝負2007年6月2日900勝421敗2持碁2無勝負。
2006年40歳40勝22敗通算884勝418敗2ジゴ1無勝負
2005年39歳26勝26敗通算844勝396敗2ジゴ1無勝負
2004年38歳37勝21敗通算818勝370敗2ジゴ1無勝負2004年8月21日800勝366敗2ジゴ1無勝負。
2003年37歳33勝19敗通算781勝349敗2ジゴ1無勝負
2002年36歳22勝14敗1無勝負通算748勝330敗2ジゴ1無勝負
2001年35歳12勝10敗通算726勝316敗2ジゴ
2000年34歳31勝13敗通算714勝306敗2ジゴ2000年8月31日700勝297敗。
1999年33歳24勝19敗通算683勝293敗2ジゴ
1998年32歳31勝23敗通算659勝274敗2ジゴ
1997年31歳36勝18敗通算628勝251敗2ジゴ
1996年30歳31勝19敗通算592勝233敗2ジゴ
1995年29歳24勝12敗通算561勝213敗2ジゴ
1994年28歳26勝18敗通算537勝201敗2ジゴ
1993年27歳32勝21敗1ジゴ通算511勝183敗2ジゴ1993年10月29日九段。
1992年26歳36勝15敗通算479勝162敗1ジゴ
1991年25歳35勝19敗通算443勝147敗1ジゴ
1990年24歳48勝20敗通算408勝128敗1ジゴ1990年八段。
1989年23歳51勝15敗通算360勝108敗1ジゴ
1988年22歳38勝13敗通算309勝93敗1ジゴ
1987年21歳42勝11敗通算271勝80敗1ジゴ1987年七段。
1986年20歳37勝11敗通算229勝69敗1ジゴ
1985年19歳26勝19敗通算192勝58敗1ジゴ1985年六段。
1984年18歳29勝 9敗通算166勝39敗1ジゴ
1983年17歳40勝 8敗通算137勝30敗1ジゴ1983年五段。
1982年16歳41勝11敗通算97勝22敗1ジゴ1982年四段。
1981年15歳42勝 7敗1ジゴ通算56勝11敗1ジゴ1981年4月二段。1981年9月三段。
1980年14歳14勝 4敗
1980年入段(14歳)。
棋風:抜群の大局観を持ち、厚い碁を得意とする。形勢判断の明るさには定評があり、大胆な捨石作戦をとることも。決断が早く日本棋士の中では早打ちタイプ。
揮毫:心、一期一会、聖
依田紀基著作集
依田紀基:山下の対戦成績
趙治勲:依田紀基の対戦成績
張栩:依田紀基の対戦成績
依田紀基:山田規三生の対戦成績
依田紀基:苑田勇一の対戦成績
タイトル獲得数:35個(うち世界タイトル:4個)
対局日棋戦名年齢コメント
2005年7月(30期)碁聖39歳
2004年8月(29期)碁聖38歳
2003年10月(28期)名人37歳
2003年8月(28期)碁聖37歳
2002年10月(27期)名人36歳
2002年3月(21期)NEC杯優勝36歳
2002年2月(24期)鶴聖優勝38歳
2001年10月(26期)名人35歳
2000年10月(25期)名人34歳
2000年(47期)NHK杯優勝34歳
1999年(11回)TV囲碁アジア選手権戦優勝33歳
1999年(46期)NHK杯優勝33歳
1998年(10回)TV囲碁アジア選手権戦優勝32歳
1998年(23期)碁聖32歳
1998年(45期)NHK杯優勝32歳
1998年(17期)NEC杯優勝32歳
1997年(4期)アコム杯優勝31歳
1997年(3期)JT杯優勝31歳
1997年(22期)碁聖31歳
1996年(21期)碁聖30歳
1996年(34期)十段30歳
1996年(1回)三星火災杯優勝30歳
1995年(33期)十段29歳
1993年(5回)TV囲碁アジア選手権戦優勝27歳
1993年(12期)NEC杯優勝27歳
1993年(40期)NHK杯優勝27歳
1991年(38期)NHK杯優勝25歳
1990年9月(15期)新人王戦優勝24歳
1989年9月(14期)新人王戦優勝23歳
1987年(18期)新鋭戦優勝21歳
1987年9月(12期)新人王戦優勝21歳
1986年(17期)新鋭戦優勝20歳
1986年9月(11期)新人王戦優勝20歳
1986年(1期)俊英戦優勝20歳
1984年10月(第10期)名人戦リーグ入り18歳18歳10カ月でのリーグ入りは最年少記録
1983年9月(8期)新人王戦優勝17歳
2001年1月1日以降国際棋戦成績=29勝25敗(対韓国:12勝17敗、対中国:10勝6敗、対他:7勝2敗)
対局日棋戦名勝敗対戦相手コメント
2008.08.23第4回トヨタ杯第1回戦周俊勲九段(台湾)
2008.06.07第21回富士通杯八強戦李昌鎬九段(韓国)
2008.04.14第21回富士通杯第2回戦姜東潤五段(韓国)
2008.03.15第7回春蘭杯戦第1回戦丁偉九段(中国)
2007.11.30第9回農心杯9局睦鎮碩九段(韓国)
2007.07.09第20回富士通杯3位決定戦張栩九段(日本)
2007.07.07第20回富士通杯準決勝戦朴永訓九段(韓国)
2007.06.02第20回富士通杯八強戦王檄九段(中国)
2007.04.16第20回富士通杯第2回戦古力九段(中国)
2007.04.14第20回富士通杯第1回戦李捷アマ七段(北米)
2007.02.06第8回農心杯朴永訓九段(韓国)
2006.08.26第3回トヨタ杯第1回戦趙漢乗九段(韓国)
2006.05.03CSK杯台湾戦王銘宛九段(台湾)
2006.05.02CSK杯中国戦孔傑七段(中国)
2006.05.01CSK杯韓国戦李昌鎬九段(韓国)
2006.03.13第6回春蘭杯戦第2回戦胡耀宇八段(中国)
2006.03.11第6回春蘭杯戦第1回戦孔傑七段(中国)
2006.02.24農心杯李昌鎬九段(韓国)対戦成績:10勝7敗
2006.02.23農心杯孔傑七段(中国)
2006.02.22農心杯趙漢乗八段(韓国)
2005.09.30三星火災杯第2回戦李世石九段(韓国)
2005.09.28三星火災杯第1回戦金志楊二段(韓国)
2005.08.18中環杯準決勝戦崔哲瀚九段(韓国)
2005.08.16中環杯八強戦金成龍九段(韓国)
2005.08.14中環杯第1回戦陳詩淵三段(台湾)
2005.06.15テレビアジア杯趙漢乗八段(韓国)
2005.06.14テレビアジア杯古力七段(中国)
2005.05.03CSK杯台湾戦張栩九段(台湾)
2005.05.02CSK杯韓国戦崔哲瀚九段(韓国)
2005.05.01CSK杯中国戦古力七段(中国)
2005.04.11富士通杯第2回戦李世石九段(韓国)
2004.08.23トヨタ杯戦第2回戦宋泰坤七段(韓国)
2004.08.21トヨタ杯戦第1回戦江鳴久七段(北米)
2004.07.05富士通杯戦決勝戦朴永訓六段(韓国)
2004.07.03富士通杯戦四強戦宋泰坤七段(韓国)
2004.06.13第1回泰達杯戦李昌鎬九段(韓国)非公式戦
2004.06.05富士通杯戦八強戦李昌鎬九段(韓国)
2004.04.22応氏杯戦第2回戦彭筌五段(中国)
2004.04.12富士通杯戦第2回戦゙薫鉉九段(韓国)
2004.03.23CSK杯台湾戦周俊勲九段(台湾)
2004.03.22CSK杯韓国戦劉昌赫九段(韓国)
2004.03.21CSK杯中国戦王磊八段(中国)
2003.07.07富士通杯戦3位戦李昌鎬九段(韓国)
2003.07.05富士通杯戦四強戦李世石七段(韓国)
2003.06.07富士通杯戦八強戦劉昌赫九段(韓国)
2003.04.29CSK杯中国戦董彦七段(中国)
2003.04.28CSK杯韓国戦李世石六段(韓国)
2003.04.27CSK杯台湾戦王立誠九段(台湾)
2003.04.14富士通杯戦第2回戦王磊八段(中国)
2003.04.12富士通杯戦第1回戦常昊九段(中国)
2003.01.21農心杯胡耀宇七段(中国)
2002.04.15富士通杯戦第2回戦李昌鎬九段(韓国)
2002.03.23CSK杯中国戦馬暁春九段(中国)
2002.03.22CSK杯韓国戦李昌鎬九段(韓国)
2002.03.19トヨタ杯戦第1回戦朴ヤ恩三段(韓国)
2000.06.18春蘭杯戦3位戦孔傑五段(中国)
2000.06.13第5回LG杯戦1回戦梁建五段(韓国)
2000.05.29テレビアジア杯李昌鎬九段(韓国)
2000.05.19春蘭杯戦四強戦馬暁春九段(中国)
2000.05.04応氏杯戦八強戦李昌鎬九段(韓国)
2000.05.02応氏杯戦第2回戦邵偉剛九段(中国)
2000.04.28春蘭杯戦八強戦彭筌三段(中国)
2000.01.22農心杯゙薫鉉九段(韓国)
2000.01.21農心杯王磊八段(中国)
2000.01.19農心杯金栄三四段(韓国)
1999年5月29日第11回TVアジア囲碁選手権戦決勝戦李昌鎬九段(韓国)
1999年4月23日第1回春蘭杯準々決勝戦李昌鎬九段(韓国)
1998年8月12日第10回TVアジア囲碁選手権戦1回戦李昌鎬九段(韓国)
1993年11月18日第5期東洋証券杯本選16強戦李昌鎬九段(韓国)
1993年7月27日第5回TVアジア囲碁選手権戦1回戦李昌鎬九段(韓国)
1991年3月28日日韓新鋭代表棋士五番勝負第4局李昌鎬九段(韓国)
1991年3月26日日韓新鋭代表棋士五番勝負第3局李昌鎬九段(韓国)
1991年2月4日日韓新鋭代表棋士五番勝負第2局李昌鎬九段(韓国)
1991年2月2日日韓新鋭代表棋士五番勝負第1局李昌鎬九段(韓国)
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写真(22歳) 写真(32歳)
【2003年12月13日 朝日新聞(朝刊)】
12月12日に行われた名人就位式で、依田名人は北海道から駆けつけた両親らを前に「最高の舞台で、山下君という最強の相手に勝てて幸せです。27年間の人生すべては、今期の名人戦のためにあったと思って臨んだ甲斐がありました」と謝辞を述べた。
名人4連覇は7連覇の小林光一九段、5連覇と4連覇の趙治勲九段について史上3人目。昨年の名人就位式の際には長男・太陽(たいよう)君の誕生が報告されたが、今年は11月22日に次男・大空(おおぞら)君が誕生したばかり。

【2002年10月31日 中国・囲碁報】
名人・依田紀基九段は身長1.79メートル、体重90キログラム。彼は囲碁の事以外はまったく無頓着な本当の棋界の天才。しかし彼は対局時はかなり慎重で「棋界で最も用心深い男」として知られている。

依田紀基は小学5年の夏に北海道岩見沢市から東京に出てきて、安藤武夫七段の内弟子となり、安藤先生の家から渋谷区立の小中学校に通った。入門当初の彼の棋力を安藤七段はアマ5段と認定した。中学3年のとき彼はプロ棋士になった。
小さい時から彼は囲碁以外のことには興味を示さなかった。ある時、安藤先生は自宅の庭で野球をしようとしたが、依田は意外にも野球の仕方を知らなかったという笑い話がある。6年間の内弟子生活で、彼は囲碁以外のいかなる事にも関心を持たなかった。

成長して成人になった後も彼は小さい事には無頓着で振り向きもせず、いつも周りの者を冷や冷やさせる。ある時、海外棋戦に行くため空港まで行った彼は何と旅券を忘れたことに気付いた。旅券を取りに行き空港に帰るとすでに予定の便は出発した後だったという。似たような笑い話は彼の日常生活でたびたび出現するが、彼の夫人の原幸子四段はかつて冗談めかして「もしも私が3日間ほど彼の元を離れていたら、彼は餓死するかもしれない」と言っていた。
実際もこのようで、夫人の原幸子四段はほとんど彼の全ての衣食住と交通手段を全部引き受け、依田が国内外の試合に参加するときは、原幸子は彼と影のようにいつも離れなずにいる。

日常生活での依田紀基の自己処理能力はきわめて悪いが、囲碁に関しては彼は正真正銘のトラになったと言えよう。依田の棋風は厚み派に属するが、戦いもできる。しかし彼の戦闘は他の戦いを好む棋士と違い、情勢に立ち後れない限り依田から仕掛けることはない。依田の最も著しい特徴は、いつも後れた情況の下で逆転して勝つことだ。
依田紀基はすでに日本で大物棋士と言われる棋士。18歳で名人戦のリーグ入りを果しているが、このリーグ入りの最年少記録は今だに破られていない。1988年の第4回中日スーパー囲碁戦では、弱冠22歳の七段棋士として日本側の先鋒を務め、彼は兪斌、陳臨新を破ると、王群に逆転勝ち、劉小光に半目勝ちし、続いて江鋳久と馬暁春を連破して、中国側の主将・聶衛平に敗れるまで6連勝した。彗星のように現れた依田の劇的な大活躍で、中国の多くの囲碁ファンは"依田紀基"の名前を知ることになる。

実際には、依田紀基の"出世"は1981年に始っている。この年すでに中国棋界で少し名が売れだしていた曹大元が日本での早碁戦に参加したが、曹大元はわずか15歳の少年に負けている。すでに頭角を現していたのだ。後に名誉棋聖の藤沢秀行は彼を気に入り、息子の藤沢一就、依田紀基、小松英樹などの少年棋士を招集して、新鋭棋士の研究会を構成し、1981年から1984年まで、毎年自費で彼らを中国に送り込み交流試合を行った。これが中国でも有名な"秀行軍団"。依田紀基はこの軍団の中核で、成績は抜きん出ていた。

2000年、名人戦の挑戦手合で彼は4勝0敗で趙治勲名人の堡塁を攻め落とし、2001年、ベテランの林海峰の挑戦を撃退して、みごとに"名人"のタイトルを守った。
劉小光は彼の戦闘力に敬服して「依田紀基は"力戦の雄"の名誉を得る素質がある」という。「彼の棋は連雲流水のごとく、1分のすきもない」と棋界はあまねく思っている。あたかも攻撃力は山を下った虎の如く、狂暴で力強くたくましい。よって我々は依田紀基に"依田トラ"の称号を送ろう!

【2000年10月26日 読売新聞「顔」(久能以平)】
◇第25期名人になった依田紀基(よだ・のりもと)さん。
北海道岩見沢市出身。1980年プロ入り。1995年十段で初タイトル。34歳。
◆一生懸命打ちました
「タイトルは、ブランドの洋服のようだと思ってるんです。気持ちはいいけど、要は中身が問題」。一流棋士の証(あかし)となる名人戦リーグに、史上最年少の18歳で入ってから16年。ようやくそのタイトルを手に入れたが、心中は意外や冷静だ。
小学4年の時、サラリーマンだった父親から、囲碁の手ほどきを受けた。プロを目指すにはかなり遅い方だ。それからわずか1年後には、上京し都内で内弟子生活に入った。学校に通ったが、成績はクラスで常にビリ。でも逆にそれが、囲碁への原動力にもなったという。
「これで囲碁が弱かったら、自分の存在意義はどこにあるんだろうって」。3日3晩のマージャン漬け、カジノで数百万すった、遅刻は当たり前、自分の住所なんて覚えていない――。面白ければとことんのめり込むが、必要がないと思えば徹底して頭の中から排除する。そういった性格が数々の逸話を残している。
国際棋戦にめっぽう強いことでも知られる。過去優勝は4回。特に世界最強と目されている韓国の李昌鎬(イ・チャンホ)九段に、世界で唯一大きく勝ち越している。「相手が強いとうれしいし、やる気も出るんです」
韓国内では「なぜ、三大タイトル(棋聖、名人、本因坊)も獲得してない依田に、李は勝てないのか」と不思議がる報道もあったが、そうした論調もなくなりそうだ。2年前に、女流棋士の原幸子四段と結婚した。

【1998年11月6日 読売新聞「盤側」】
依田紀基碁聖(32)と原幸子三段(27)が結婚、入籍した。東京・内幸町のプレスセンターで行われた第23期碁聖就位式の席上、依田碁聖が明らかにした。謝辞のなかでこの事実を公表して関係者はびっくり、同席した原三段とともに祝福されていた。原三段は囲碁解説の聞き手役としても親しまれている。

【1988年5月25日 読売新聞(東京夕刊)】
依田紀基七段、1966年、北海道・岩見沢市生まれ、22歳。1976年安藤武夫六段に入門、1980年入段、1987年七段。新人王などタイトル獲得回数5。二十一世紀の日本碁界を背負って立つ大器、と言われているが、同時に“碁打ちこども”とも。碁はいっちょう前だが、他のことはこども並み、という意味である。
小学5年のとき、プロになるために上京した。安藤武夫六段宅に内弟子として住み込むとき、何を聞かれてもムッツリ。口をきいたのは、「棋士になりたいの?」という質問への返事。「ハイ」だけだった。「だって碁というのは面白いですよ。僕は小学4年のとき、おやじから教えられたんですが、たちまち碁の魅力にとりつかれました。プロは毎日、その碁とにらめっこ出来るんだから……」中学2年、14歳での入段は、最近ではまれ。
「学校はさぼる、ケンカはする。いろいろ注意されて頭にきて、お母さん(師匠夫人)にむしゃぶりついたことなど数え切れません。小学生のときは、取っ組み合いではお母さんといい勝負でした」勝ちか負けか。二つしかない厳しい世界では、これぐらいの激しさが無いと生きては行けない。ひごろの対局は午前10時に始まる。だが内弟子時代、師匠夫人は対局日の朝、依田を起こすのに随分苦労したそうだ。独立してからは、北海道の実家からわざわざ電話をかけてもらっていた。それでも遅刻の常習犯。ただし、不戦敗がないのだけは自慢?
5月30日、碁を通じて知り合った津田塾大数学科出身のお嬢さん(23)と結婚した。生涯、これ以上の“好手”は打てまい、という評判だ。現在は、藤沢秀行名誉棋聖に師事している。しかし、マージャンなどに凝って、二度ほど破門されたこともある。「レース巧者。最近意欲的に勉強しているが、まだまだこれから」と依田評。本人は「いまより二子は強くなりたい」と、段にすれば五、六段という大きな夢を描いている。

【「囲碁クラブ」1991年4月号】
美唄市生まれ、岩見沢市育ち。2人兄弟の長男。9歳の時に父から囲碁を教わる。10歳で上京。安藤武夫六段の内弟子。本院院生となる。14歳で入段。