山下敬吾
やました けいご
山下敬吾
Yamashita Keigo

1978年9月6日生れ
A型
北海道旭川市出身
1986年(第7回)小学生名人戦優勝(小学2年生で)。1987年(第8回)小学生名人戦準優勝(小学3年生で)。1988年(第9回)小学生名人戦準優勝(小学4年生で)。菊池康郎門下。1993年4月入段(14歳)。2000年8月七段。2003年4月1日九段(棋聖獲得)。2012年10月4日800勝(349敗1持碁)達成。勝率.696 日本棋院30人目。
2003年12月7日に囲碁インストラクター高梨聖子(しょうこ)さん(22)と結婚。
2012年12月31日現在通算成績=805勝354敗1ジゴ
2013年34歳??勝??敗通算???勝??敗1ジゴ
2012年33歳26勝20敗通算805勝354敗1ジゴ2012年10月4日800勝(349敗1持碁)達成。
2011年32歳32勝20敗通算779勝334敗1ジゴ
2010年31歳40勝23敗通算747勝314敗1ジゴ
2009年30歳37勝17敗通算707勝291敗1ジゴ2009年10月22日700勝(285敗1持碁)達成
2008年29歳27勝24敗670勝274敗1ジゴ
2007年28歳32勝25敗643勝250敗1ジゴ
2006年27歳44勝24敗611勝225敗1ジゴ2006年8月3日通算600勝達成
2005年26歳33勝20敗567勝201敗1ジゴ
2004年25歳39勝32敗534勝181敗1ジゴ2004年3月11日通算500勝達成
2003年24歳34勝18敗495勝149敗1ジゴ2003年4月1日九段(棋聖獲得)。
2002年23歳61勝17敗461勝131敗1ジゴ
2001年22歳50勝19敗400勝114敗1ジゴ
2000年21歳59勝18敗350勝95敗1ジゴ2000年8月七段。
1999年20歳55勝12敗291勝77敗1ジゴ
1998年19歳60勝15敗236勝65敗1ジゴ
1997年18歳60勝10敗176勝50敗1ジゴ
1996年17歳38勝12敗116勝40敗1ジゴ
1995年16歳35勝10敗1ジゴ78勝28敗1ジゴ
1994年15歳22勝11敗43勝18敗
1993年14歳21勝7敗
1993年4月入段(14歳)。
棋風:接近戦に強く好戦的な碁。厚みを背景に深い読みに裏づけられた力強い攻めが得意。
揮毫:天楽、夢
山下敬吾著作集
山下:井山裕太の対戦成績
山下:結城聡の対戦成績
依田:山下の対戦成績
張栩:山下の対戦成績
山下:高尾の対戦成績
山下:羽根の対戦成績
趙治勲:山下敬吾の対戦成績
山下敬吾:河野臨の対戦成績
山下敬吾:小林覚の対戦成績
タイトル獲得数:23個(うち世界タイトル:0個)
対局日棋戦名年齢コメント
2013年9月(第22期)竜星戦優勝35歳
2012年11月(37期)名人優勝34歳
2011年10月(36期)名人優勝33歳
2011年7月(66期)本因坊優勝32歳
2010年10月(17期)阿含杯優勝32歳
2010年6月(65期)本因坊優勝31歳
2010年9月(第19期)竜星戦優勝32歳
2009年12月(35期)天元31歳
2009年3月(第33期)棋聖30歳4連覇
2008年3月(第32期)棋聖29歳3連覇
2007年11月(第55期)王座29歳
2007年2月(第31期)棋聖28歳自身初の防衛
2006年12月(第54期)王座28歳
2006年2月(第30期)棋聖27歳
2005年1月(1回)中環杯準決勝戦進出26歳
2004年12月(第30期)天元26歳
2003年3月(第27期)棋聖24歳
2001年9月(第26期)新人王戦優勝23歳
2000年(第25期)碁聖22歳
2000年9月(第25期)新人王戦優勝22歳
2000年(第30期)新鋭戦優勝22歳
1999年(第14期)俊英戦優勝21歳
1999年10月(第24期)新人王戦優勝21歳
1998年10月(第23期)新人王戦優勝20歳
2001年1月1日以降国際棋戦成績=27勝36敗(対韓国:13勝23敗、対中国:8勝11敗、対他:6勝2敗)
対局日棋戦名勝敗対戦相手
2009.11.25第11回農心杯第1ステージ第1局金志錫六段(韓国)
2009.10.13第14回三星火災杯16強戦孔傑九段(26)(中国)
2009.09.11第14回三星火災杯32強戦第2回戦結城聡九段(日本)
2009.09.10第14回三星火災杯32強戦第1回戦崔珪モ九段(韓国)
2009.06.06第22回富士通杯八強戦李昌鎬九段(韓国)
2009.05.18第14回LG杯第1回戦元晟湊九段(韓国)
2009.04.13第22回富士通杯第2回戦邱峻八段(中国)
2008.11.03第13回LG杯八強戦李昌鎬九段(韓国)
2008.10.22第10回農心杯柁嘉熹三段(中国)
2008.11.19第13回三星火災杯八強戦孔傑七段(中国)
2008.09.05第13回三星火災杯第2回戦周鶴洋九段(中国)
2008.09.03第13回三星火災杯第1回戦謝赫七段(中国)
2008.08.23第4回トヨタ杯第1回戦趙漢乗九段(韓国)
2008.05.28第13回LG杯第2回戦金亨奐四段(韓国)
2008.05.26第13回LG杯第1回戦金昇宰初段(韓国)
2008.04.30第6回応氏杯第1回戦古力九段(中国)
2008.04.14第21回富士通杯第2回戦趙漢乗九段(韓国)
2007.09.04第12回三星火災杯第1回戦許映皓六段(韓国)
2007.08.13第3回中環杯第2回戦趙漢乗九段(韓国)
2007.08.12第3回中環杯第1回戦陳詩淵七段(台湾)
2007.06.06第12回LG杯第2回戦温昭珍三段(韓国)
2007.06.04第12回LG杯第1回戦安達勲七段(韓国)
2007.04.16第20回富士通杯第2回戦胡耀宇八段(中国)
2006.09.08第11回三星火災杯第2回戦朴文尭五段(中国)
2006.09.06第11回三星火災杯第1回戦趙漢乗九段(韓国)
2006.05.17第11回LG杯第2回戦胡耀宇八段(中国)
2006.05.15第11回LG杯第1回戦尹峻相四段(韓国)
2006.05.03第5回CSK杯台湾戦王立誠九段(台湾)
2006.05.02第5回CSK杯中国戦古力七段(中国)
2006.05.01第5回CSK杯韓国戦朴永訓九段(韓国)
2006.04.10第19回富士通杯第2回戦李昌鎬九段(韓国)
2006.04.08第19回富士通杯第1回戦趙漢乗八段(韓国)
2005.08.16第2回中環杯八強戦崔哲瀚九段(韓国)
2005.08.14第2回中環杯第1回戦周俊勲九段(台湾)
2005.05.18第10回LG杯第2回戦李世石九段(韓国)
2005.05.16第10回LG杯第1回戦常昊九段(中国)
2005.05.03第4回CSK杯台湾戦王銘宛九段(台湾)
2005.05.02第4回CSK杯韓国戦李昌鎬九段(韓国)
2005.05.01第4回CSK杯中国戦周鶴洋九段(中国)
2005.01.13第1回中環杯準決勝戦朴永訓九段(韓国)
2004.09.18第1回中環杯八強戦林至涵五段(台湾)
2004.09.16第1回中環杯第1回戦崔哲瀚八段(韓国)
2004.09.01第9回三星火災杯第1回戦朴永訓九段(韓国)
2004.08.21第2回トヨタ杯第1回戦古力七段(中国)
2004.05.20第9回LG杯第2回戦趙漢乗七段(韓国)
2004.05.18第9回LG杯第1回戦宋泰坤七段(韓国)
2004.04.22第5回応氏杯第2回戦李昌鎬九段(韓国)
2004.04.20第5回応氏杯第1回戦古力七段(中国)
2004.04.12第17回富士通杯第2回戦朴永訓五段(韓国)
2004.03.23第3回CSK杯台湾戦王立誠九段(台湾)
2004.03.22第3回CSK杯韓国戦崔哲瀚七段(韓国)
2004.03.21第3回CSK杯中国戦兪斌九段(中国)
2003.04.29第2回CSK杯中国戦王檄四段(中国)
2003.04.28第2回CSK杯韓国戦劉昌赫九段(韓国)
2003.04.27第2回CSK杯台湾戦王銘宛九段(台湾)
2002.11.26第4回農心杯羅洗河八段(中国)
2002.09.02第1回トヨタ杯第2回戦李昌鎬九段(韓国)
2002.03.19第1回トヨタ杯第1回戦朴永訓二段(韓国)
2001.10.26第6回LG杯八強戦゙薫鉉九段(韓国)
2001.06.14第6回LG杯第2回戦徐奉洙九段(韓国)
2001.06.12第6回LG杯第1回戦朴正祥二段(韓国)
2001.03.16第2回農心杯゙薫鉉九段(韓国)
2001.03.15第2回農心杯常昊八段(中国)
2000.12.28第3回春蘭杯第2回戦゙薫鉉九段(韓国)
2000.12.26第3回春蘭杯第1回戦徐奉洙九段(韓国)
2000.12.16第1回農心杯睦鎮碩四段(韓国)
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写真(7歳、1986年に小林光一棋聖と対局した山下敬吾) 写真(18歳) 写真(24歳) 写真(28歳)
【2013年1月8日 朝日新聞(伊藤衆生)】
――昨年は11月に名人を初防衛されました。今年はどんな一年にしたいですか。
 「名人の防衛以外は目立った活躍もなく、その名人戦も内容が悪かった。だらしない年でしたから、これじゃいかんという思いで新年を迎えた。いま井山裕太さんがすごい勢いですが、このまま独走させちゃいかんという強い気持ちです」
――井山さんのタイトルに挑戦するという宣言ですね。山下さんは現在、本因坊戦リーグで3連勝。首位を並走しています。
 「挑戦の可能性がある棋戦で一番近いのは本因坊戦です。井山さんには昨年、本因坊を奪われましたから、ぜひともリベンジしたい」
――今年も井山さん中心で囲碁界は動くのでしょうか。
 「当然そうなる。七大タイトルのうち五冠を保持し、まもなく始まる棋聖戦の挑戦者として六冠も視野に入れているのですから。棋聖(張栩)、名人(山下)、本因坊(井山)の三大タイトルを3人で分け合っているという見方があるかもしれないが、だからよけいに今度の棋聖戦は重要です」
――六冠を達成すれば、現行のタイトル戦では史上初です。
 「将棋の羽生善治さんが七冠を独占したときのように、囲碁界に大きな話題・ニュースが生まれるのは、それ自体はいいことです。でも、対局者、一プレーヤーとしては許したくない。独占というのは他の棋士にとっては情けないこと。できれば秋の名人防衛戦を迎える前に、本因坊戦や碁聖戦で自分がなんとかしたい。『調子に乗るな』って1、2発ポカッとね(笑い)。二つの防衛戦だけだった昨年とは違い、一つか二つはタイトルに挑戦したい」
――国際棋戦における日本の不振は続きますか。
 「このままじゃまずいとは分かっていますが、具体的にどうすればいいかというと難しい。今年もチャンスがあれば、できるだけ出場し、そして勝ちたいということだけです。驚かされるのは、中国や韓国には10代や20代前半で強い人がごろごろいるということ。日本では井山さん一人が抜けているというのが現状。自分にとって強敵が増えることにはなりますが、もっと若い人たちにも第一線に出てきてほしい」

【2011年7月22日 毎日新聞「人」(金沢盛栄)】
3連勝後、まさかの3連敗。負けが込むにつれ、表情は明らかに硬くなっていった。「精いっぱいやるだけ」と臨んだ第7局。防衛が決まった直後、大きくため息をついた。昨年夏、念願の本因坊を獲得。就位式で「道吾(どうわ)」の号を披露した。尊敬する江戸時代の棋士、四世本因坊道策と出身地である北海道から1文字を拝借。もう1文字は、自分の名前からだ。
「囲碁を通じての青少年の健全な育成」の教育理念で知られる緑星囲碁学園(東京都中野区、菊池康郎代表)出身。どんな長時間の対局でも正座を通すのは、学園で鍛えられたもの。今シリーズも一度も崩れることはなかった。全局、昼食抜き。「正座も昼食抜きも長年の習慣。苦痛はありません」と屈託無い。囲碁インストラクターの妻聖子さん(30)と長男(7)の3人家族。「優しくて温和なお父さん」と聖子さん。ただ、囲碁になると、態度は一変。「厳しくなります。碁石、碁盤に触れたとたん、モードが変わるんでしょうね」
シリーズ中、決して好調ではなかった。合間の対局で4勝3敗。一方、挑戦者の羽根直樹九段(34)は7勝3敗と好成績。ただどういうわけか、対羽根九段は通算32勝17敗と圧倒している。本因坊戦前、「タイトル戦となると別。関係ありません」と話していたが、相性が示す通りの結果となった。実力差はないはずなのに、不思議としかいいようがない。

【2007年9月22日 神戸新聞「人」】
天元位をかけた五番勝負に臨むのは2003年以来五年連続となる。対局相手は2005年に自身からタイトルを奪取した河野臨(りん)天元。「2年連続で負けているんで、今回は結果にこだわりたい」。リターンマッチへの意気込みを飄々(ひょうひょう)と語る。9月20日の挑戦者決定戦。若手のホープ、18歳の井山裕太七段との対局は序盤から苦しい展開だったが、相手の寄せのゆるみを見逃さず、驚異的な巻き返しに成功。一目半差で逆転勝ちした。「半分以上あきらめていたが、粘っているうちにうまくいった。勝ちを確信できたのは最終盤」と、大激戦を振り返る。
1978年、北海道旭川市生まれの29歳。5歳で囲碁を始め、小学2年生のときに史上最年少で全国少年少女囲碁大会優勝。翌年、プロ棋士を目指して上京した。1998年からは新人王戦で前人未到の4連覇を達成。2000年には初のビッグタイトル、碁聖を獲得。天元位を失った今も棋聖、王座の二冠に輝く。
天元戦第一局は出身地・北海道の釧路市で行われる。河野天元には公式戦7勝9敗と負け越しているだけに「読みも寄せもしっかりした相手。これから対策を立てたい」と気を引き締める。年末まで続く五番勝負を乗り切るため「はやりの『ビリーズブートキャンプ』で体を鍛えます」と笑わせた。東京都千代田区で妻、長男(3つ)と3人暮らし。囲碁中心の生活だが、囲碁を打っていないときはなるべく子どもと遊ぶようにしている。「それが一番の気分転換です」

【2006年8月3日 日本棋院ニュース】
山下敬吾棋聖が8月3日、東京都千代田区・日本棋院で行なわれた第31期名人戦リーグ戦で依田紀基九段に白番7目半勝ちし、公式戦通算600勝(215敗1持碁)を達成しました。史上47人目の達成です。これにより、27歳10ヶ月での達成となり史上最年少記録(これまでの1位は高尾紳路本因坊の29歳2ヶ月)。入段から13年4ヶ月での達成となり史上最短期間(これまでの1位は高尾紳路本因坊と羽根直樹九段の14年9ヶ月)。達成時勝率.736となり史上2位(1位は高尾紳路本因坊の .754)となりました。初勝利は平成5年4月14日大手合 北野亮二段に黒番1目勝ち

【2006年2月24日 読売新聞「顔」(岡崎裕哉)】
きらきら輝くアクセサリーを襟元に付けて、毎局、盤に向かった。妻の聖子さん(25)の見立てだという。挑戦者に決まった時に4種類買いそろえた。4局で勝負を決め、ちょうどすべてを付け終えた。いつも渋好みのスタイルだけに周囲の目を引いたが、棋聖戦にかける思いがそうさせた。昨年末、王座に挑戦して敗れ、その直後、天元を失って無冠に。「絶不調」で迎えた棋聖戦だった。「かえって気持ちを新たにして臨めました」と語る。弱音は決して見せない芯の太さがある。
対局会場への移動中はよく眠る。今シリーズは第1局ベルリン対局から第4局熊本対局までの移動距離は2万7000キロ余り。飛行機でも列車でも、動き出すとすぐにまぶたを閉じる。「負けると疲れるが、勝った時の移動は苦になりません」。これまで碁聖、棋聖、天元のタイトルを取ったが、実は防衛には1度も成功していない。「今度は防衛します」と力を込めた。
1歳の長男、真輝くんは、テレビや新聞に父の姿を見つけると、じっと見入るという。「囲碁がパパにとって大切なものであることが分かってきたようです」と聖子さんは話す。最近、碁石も握るようになった。ちゃんと人さし指と中指で挟む。置き方はまだたどたどしい。石を盤に置く音がしないので、かわりに自分で声にするという。「ピシッ、と言うんです」。父親の笑顔が広がった。

【2004年11月27日 神戸新聞「人」】
「運が良かった。相手のミスに助けられたが、とにかく結果を残せて、ほっとしている」。第30期天元戦五番勝負を三連勝で制し、昨年に続く二度目の挑戦で天元位を獲得した。
対戦した羽根直樹前天元(28)は通算14勝9敗と勝ち越していた相手。だが昨年は最終局までもつれた末に敗れ、今年初めには棋聖位の初防衛を阻まれた。「お返しをしたい」と臨んだ戦いで雪辱を果たした。
囲碁は5歳で始め、早くも小学2年のとき全国少年少女大会で優勝。翌年、翌々年と準優勝にとどまったため号泣、その姿が囲碁ファンの語り草に。負けず嫌いの性格を表した手厚い攻撃型の碁が持ち味だ。 1993年、プロに。2000年に初のビッグタイトル碁聖位を得た。勝率でも常に上位。囲碁界の世代交代をリードする存在だ。「僕には囲碁しかない。他の道は考えたことはない」と言い切り、「棋譜は何百年も残る。素晴らしいものを残したい」と、一局一局に思いを込める。「自分の戦い方はまだ固まってない。作り上げている段階」とも。 連戦が続く。11月29日、王座戦五番勝負の第三局に臨む。同じ若手実力者の張栩王座との戦いは二連敗中で後がない。天元位奪取のいきおいで「最終局まで持ち込みたい」と表情を引き締めた。 「自宅では、生後5カ月の長男の世話にかかりっきりで、大変」と笑う。妻(22)と長男の三人暮らし。東京都千代田区在住。26歳。九段。


山下は旭川東高の数学教師の父親、建夫さんの手ほどきで碁を覚えた。北海道旭川市の小学2年の時に、小学生名人になり、1988年、母、兄と共に上京して3年生で緑星学園(菊池康郎氏主宰)に入った。高校数学教師の父親は旭川に残った。史上最年少の小学生名人だったから、「都会の腕自慢たちと切磋琢磨すれば、ぐんぐん上達するはず」と期待されたが、1年近くは足踏み状態だった。
学園では対局したり、プロの新旧の打ち碁を並べたり、詰め碁を解いたりで腕を磨く。そんな山下に菊池は当初、特段の指示はしなかった。旭川では碁会所で打つほか、自宅トイレにまで張ってあった詰め碁を解くなど、課題を与えられて勉強してきた。「このままでは一流になるのは無理だ」と菊池は思った。1年ほどたって、「自分でやる気にならなけりゃ、ダメなんだ。人に言われた通りに打つのでは『借り物』だからね」と菊池は初めて諭した。
この言葉を山下は覚えていない。だが、負けず嫌いの性格に火がついたのか、これを機に頭角を現し始める。2000年に初タイトルの碁聖を取り、2001年は名人リーグ入り。2002年11月14日には3大棋戦の一つ、棋聖戦の挑戦者に初名乗りをあげた。
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