王銘琬
オウ メイエン
Wang Ming wan
ワン ミンワン
1961年11月22日生れ

台湾台南市出身
来日する前は台北市に住んでいたが、生まれは台南市で幼少期もそこで育った。1975年11月、13歳で来日。1975年院生、師につかず独学で勉強。1977年入段(15歳)。1978年二段。1979年三段。1981年5月四段。1981年12月五段。1984年六段。1986年七段。1988年八段。1992年九段。
鄭銘皇九段、鄭銘g七段の長兄。夫人は劉黎兒さん。2004年まで台湾有力紙の東京特派員を務め、その後フリー・ライターに。
棋風:読みの深い力戦型。独特の構想力から意欲的に仕掛けてくるタイプ。独特の中央力感。
揮毫:童心(どうしん)
王銘宛著作集
タイトル獲得数:6個(うち世界タイトル:0個)
対局日棋戦名年齢コメント
2012年7月(2期)マスターズ戦50歳
2007年3月(2回)大和証券杯46歳非公式ネット棋戦
2002年(50期)王座41歳
2002年(15回)富士通杯第3位41歳
2001年(56期)本因坊40歳
2000年(55期)本因坊39歳
1991年(6期)NEC俊英戦優勝30歳
1989年(4期)NEC俊英戦優勝28歳
1979年(3期)留園戦優勝18歳非公式戦
2001年1月1日以降国際棋戦成績=14勝30敗(対韓国:8勝18敗、対中国:1勝8敗、対他:5勝4敗)
対局日棋戦名勝敗対戦相手
2008.05.02第4回応氏杯第2回戦劉星七段(中国)
2006.05.03CSK杯日本戦依田紀基九段(日本)
2006.05.02CSK杯韓国戦李世石九段(韓国)
2006.05.01CSK杯中国戦孔傑七段(中国)
2005.08.16中環杯八強戦李世石九段(韓国)
2005.08.14中環杯第1回戦李昌鎬九段(韓国)
2005.05.03CSK杯日本戦山下敬吾九段(日本)
2005.05.02CSK杯中国戦胡耀宇七段(中国)
2005.05.01CSK杯韓国戦崔哲瀚九段(韓国)
2005.04.11富士通杯第2回戦朴永訓九段(韓国)
2005.04.09富士通杯第1回戦金成龍九段(韓国)
2005.02.25農心杯李昌鎬九段(韓国)
2004.09.18中環杯八強戦朴永訓九段(韓国)
2004.09.16中環杯第1回戦羽根直樹九段(日本)
2004.05.18LG杯第1回戦朴昇賢四段(韓国)
2004.04.24応氏杯八強戦宋泰坤七段(韓国)
2004.04.22応氏杯第2回戦周俊勲九段(台湾)
2004.04.12富士通杯第2回戦劉昌赫九段(韓国)
2004.04.10富士通杯第1回戦センフェン・ワン6段(南米)
2004.03.23CSK杯日本戦結城聡九段(日本)
2004.03.22CSK杯中国戦王磊八段(中国)
2004.03.21CSK杯韓国戦李世石九段(韓国)
2003.12.29春蘭杯第1回戦王磊八段(中国)
2003.06.17LG杯第1回戦Mレドモンド九段(米国)
2003.04.29CSK杯韓国戦劉昌赫九段(韓国)
2003.04.28CSK杯中国戦劉菁八段(中国)
2003.04.27CSK杯日本戦山下敬吾九段(日本)
2003.04.14富士通杯第2回戦宋泰坤四段(韓国)
2002.09.04トヨタ杯八強戦常昊九段(中国)
2002.09.02トヨタ杯第2回戦楊士海八段(香港)
2002.08.28三星火災杯第1回戦梁建六段(韓国)
2002.08.03富士通杯3位戦李昌鎬九段(韓国)
2002.07.06富士通杯四強戦劉昌赫九段(韓国)
2002.06.01富士通杯八強戦朴永訓三段(韓国)
2002.04.30LG杯第1回戦李相勲七段(韓国)
2002.04.15富士通杯第2回戦睦鎮碩六段(韓国)
2002.03.23CSK杯韓国戦朴永訓四段(韓国)
2002.03.22CSK杯中国戦常昊九段(中国)
2002.03.19トヨタ杯第1回戦張旋八段(中国)
2001.10.18農心杯崔哲瀚三段(韓国)
2001.08.29三星火災杯第1回戦朴正祥二段(韓国)
2001.06.14LG杯第2回戦李世石三段(韓国)
2001.06.12LG杯第1回戦崔明勲七段(韓国)
2001.04.14富士通杯第1回戦崔明勲七段(韓国)
2000.12.28春蘭杯第2回戦王磊八段(中国)
2000.08.26応氏杯準決勝戦常昊九段(中国)
2000.08.24応氏杯準決勝戦常昊九段(中国)
2000.08.22応氏杯準決勝戦常昊九段(中国)
2000.05.04応氏杯八強戦馬暁春九段(中国)
2000.05.02応氏杯第2回戦゙薫鉉九段(韓国)
2000.04.30応氏杯第1回戦梁宰豪九段(韓国)
2009年12月31日現在通算成績=913勝511敗2ジゴ
2010年49歳??勝??敗通算???勝??敗
2009年48歳23勝19敗通算913勝511敗2ジゴ2010年2月25日900勝504敗2持碁2無勝負達成
2008年47歳23勝13敗通算890勝492敗2ジゴ
2007年46歳27勝13敗通算867勝479敗2ジゴ
2006年45歳16勝23敗通算840勝466敗2ジゴ
2005年44歳30勝28敗通算824勝443敗2ジゴ2005年10月6日800勝427敗2持碁1無勝負達成
2004年43歳26勝30敗通算794勝415敗2ジゴ
2003年42歳27勝25敗通算768勝385敗2ジゴ
2002年41歳34勝27敗通算739勝360敗2ジゴ
2001年40歳24勝20敗通算705勝333敗2ジゴ
2000年39歳31勝17敗通算681勝313敗2ジゴ
1999年38歳32勝17敗通算650勝296敗2ジゴ
1998年37歳36勝21敗通算618勝279敗2ジゴ
1997年36歳39勝15敗通算582勝258敗2ジゴ
1996年35歳38勝16敗通算543勝243敗2ジゴ
1995年34歳29勝19敗通算505勝227敗2ジゴ
1994年33歳23勝13敗通算476勝208敗2ジゴ
1993年32歳27勝7敗通算453勝195敗2ジゴ
1992年31歳24勝11敗通算426勝188敗2ジゴ
1991年30歳35勝15敗通算402勝177敗2ジゴ
1990年29歳25勝15敗通算367勝162敗2ジゴ
1989年28歳39勝15敗通算342勝147敗2ジゴ
1988年27歳30勝10敗通算303勝132敗2ジゴ
1987年26歳30勝17敗通算273勝122敗2ジゴ
1986年25歳32勝24敗通算243勝105敗2ジゴ
1985年24歳37勝10敗通算211勝81敗2ジゴ
1984年23歳33勝9敗1ジゴ通算174勝71敗2ジゴ
1983年22歳23勝8敗通算141勝62敗1ジゴ
1982年21歳13勝10敗通算118勝54敗1ジゴ
1981年20歳36勝9敗通算105勝44敗1ジゴ
1980年19歳20勝8敗通算69勝35敗1ジゴ
1979年18歳21勝9敗通算49勝27敗1ジゴ
1978年17歳17勝12敗通算28勝18敗1ジゴ
1977年16歳11勝6敗1ジゴ

日本棋院の情報 新浪体育 LGSの情報 Wikipedia(王銘宛) メイエン事件簿(王銘宛)
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【2013年7月30日 『NHK 囲碁講座』2013年7月号より】
2001年、若き挑戦者・張栩を4勝3敗で下して本因坊位を防衛した王銘宛九段。このシリーズを振り返って王は「僕のやり方が異質だったので、張栩さんが戸惑ったのでしょう」とのコメントを発している。ではその「異質なやり方」とは、具体的にどういったものなのか? マスコミではよく「銘宛ワールド」とか「ゾーンプレス」という表現をされているが……。あの「名人戦リーグ全敗」以降、現在に至るまで、王の着手に一貫して込められている哲学を語ってもらった。
打ちたいと思った手を打つとはいっても、大一番を迎えるとやっぱり欲が出ますし、負けたくないという気持ちも生まれます。しかし、そういうときこそ原点に戻って「なぜ自分は碁を打つのか?」と考えてみる−−すると「面白そうだから」という気持ちに行き着くわけです。自分なりに見えている碁というものを、碁盤の上で表現するような着手を選んでいく−−するとそれは自分にしかできない選択をした結果なので「負けてもしかたがない」「負けても悔いはない」と思える。そのうえでなお勝つことができたらほくそ笑み、自分の見えているままの手で勝てたら気持ちいい−−それが今の僕のスタイルなんです。
で、僕のそのスタイルを無理やり言葉にしてみたのが「ゾーンプレス」なんです。僕にとって碁というのは「広さの関係」と「力関係」がまず目に飛び込んでくるので、そう表現してみました。この言葉を雑誌の講座で初めて使ってみたときに、呉清源先生から「ゾーンプレスとはよい表現ですね」とお褒めの言葉を頂いたので、それ以来ずっと使い続けています。そして「銘宛ワールド」というのは、僕のそうした異質な着手に対して、マスコミの方が名付けてくれた呼び方です。よく「奇抜な打ち方」みたいに言われるのですが、自分にとって最も面白い手を打っているだけなんです。勝ちたいのはやまやまですが、それよりも「自分が面白いと感じた手を打つ」という、自分が決めたことの方が大切だと。
年齢を重ねたことで最近は、自分の好みがはっきり分かってきたことも大きいですね。そしてそのように打っても、結果は必ずしも悪いものではありません。自分でコントロールできる世界ではないという意味で「うまくいくときもあれば、いかないときもある」と考えられるようにもなりました。先ほども言いましたが、結果とは「神様がくれるご褒美、福引きみたいなものである」と……。負けることが怖くなくなったので、碁盤に臨むにあたっての不安も今はありません。
●アマチュアに最も近いプロ
あの「名人戦リーグ全敗」を経験して碁に対する接し方が変わったことを契機に、本因坊や王座という、思ってもみなかったビッグプレゼントを神様から頂くことができました。とはいえ、楽しもうと思って碁を打つようになったから結果がよくなったのか、本当のところは自分には分かりません。でも、このおかげで僕は面白く碁を打ち、楽しくプロ棋士を続けることができました。これからも常に、そうありたいと思っています。僕はですね、あまり深く考えないで素直に打っていくという意味で「アマチュアに最も近いプロでありたい」と思っているんです。精神的にも、技術的にも。それが一番面白いわけですし、どんな単純なことでも自分が分からなければ、実際に試してみようと……。それが一番ワクワクするじゃないですか。この気持ちを、今後もずっと持ち続けていきたいなと。

【2005年12月12日 朝日新聞夕刊「棋士快声」(荒谷一成)】
2年前に囲碁の基本的な考え方を開陳した「ゾーンプレスパーク」、今年は自身の失敗を分析した「我間違えるゆえに我あり」を出版。9月からは台湾の大手日刊紙に囲碁コラムを毎日連載する。「打つ」と「解説する」のレパートリーに「書く」得意技を加えた。台湾紙のコラムはハガキ2枚ほどのスペースで、棋譜付きの解説に詰碁がつく。碁盤の目の数の361回は連載する意気込みだ。「棋士があらましを説明し、後は囲碁ライターに任せるのが納得できなくて」
「打つ」本業は今年、先週まで27勝27敗。立派な成績なのに顔をしかめる。「急所の対局の半分はっ勝たなくちゃいけないのに、今年後半はほとんど負けて全然だめ」。分水嶺となったのは6月の世界選手権・富士通杯の準々決勝だ。韓国の新鋭・崔哲瀚九段に負けてベスト4進出を逃した。「彼は僕と似た碁。ことごとく先回りされて、アレは残念だったなあ」。もう一つの痛い敗戦は、名人戦リーグ即復帰を賭けた高尾紳路本因坊との最終予選決勝という。
「趣味は女房孝行」と公言した愛妻家でもある。台湾有力紙の東京支局長だった妻の劉黎児さん(49)は、現在はフリーのコラムニスト。政治経済から下着泥棒の話まで硬軟の話題を台湾に送る。合間には、台湾から来日して囲碁棋士になった少年の小説を出版。夫婦そろって台北で記者会見し各紙で大きく取り上げられた。

【2005年10月7日 日本棋院ニュース】