安斎伸彰
あんざい のぶあき
Ando Nobuaki

1985年8月19日生れ

埼玉県出身
宋光復八段門下。2003年4月1日入段。2004年12月23日二段(勝ち数昇段)。2006年4月1日三段(賞金ランクで昇段)。2007年4月1日四段(賞金ランクで昇段)。2008年4月1日五段(賞金ランクで昇段)。2009年2月1日六段(賞金ランクで昇段)。2014年11月28日七段(勝ち数=120勝昇段)。
棋風:
揮毫:
2012年12月31日現在通算成績=185勝116敗
2013年28歳??勝??敗通算???勝??敗
2012年27歳15勝14敗通算185勝116敗
2011年26歳22勝13敗通算170勝102敗
2010年25歳25勝12敗通算148勝89敗
2009年24歳22勝13敗通算123勝77敗2009年2月1日六段(賞金ランクで昇段)。
2008年23歳16勝13敗通算101勝64敗2008年4月1日五段(賞金ランクで昇段)。
2007年22歳18勝13敗通算85勝51敗2007年4月1日四段(賞金ランクで昇段)。
2006年21歳22勝11敗通算67勝38敗2006年4月1日三段(賞金ランクで昇段)。
2005年20歳15勝12敗通算45勝27敗
2004年19歳24勝10敗通算30勝15敗2004年12月23日二段(勝ち数昇段)。
2003年18歳 6勝 5敗
2003年4月1日入段。
タイトル獲得数:0個(うち世界タイトル:0個)
対局日棋戦名年齢コメント
2012年5月(3期)おかげ杯26歳非公式戦
2011年5月(2期)おかげ杯25歳非公式戦
2002年1月1日以降国際棋戦成績=1勝1敗(対韓国:0勝1敗、対中国:0勝0敗、対他:1勝0敗)
対局日棋戦名勝敗対戦相手コメント
2010.04.12第23回富士通杯第2回戦李世石九段(韓国)(27)
2010.04.10第23回富士通杯第1回戦陳詩淵八段(台湾)(24)
日本棋院の情報
【「碁ワールド」2007年4月号(甘竹)】
「とにかく手のかからない子ですね。まじめ過ぎて心配になるほど。たまには遊んだら、ってつい言いたくなるんです」。師匠の宋光復九段がこんな心配をするほど、まじめな人間である。安斎くんがまだ院生だった時のこと。入段手合の大一番で負けた。師匠と目が合った安斎少年は涙でいっぱいになった。「そんな彼を見て『2週間はダメだろうな』って思ったんです。ところが3日目から石を握っていました。まじめだけど、そんなふてぶてしい面も持っているんです」
ご両親の方針で、安斎くんが中学を卒業するまで家にテレビを置かなかった。4歳10ヶ月で囲碁を覚えたのも、テレビがなかったことと無縁ではないだろう。一人暮らしを始めて3年。テレビは置いてあるがほとんど見ることはない。「碁を勉強しているか、ネットを見ているか。時々、読書もしています。たまには外に出なくちゃと思って、今は散歩をかねて本屋に行くのが趣味です」
対局が終わると、エスカレータに乗れないほどフラフラになる。負けたのが悔しくて、家までトボトボ歩いて帰ったこともあった。敗戦で体調を崩したのも、1度や2度じゃない。だけどヤケ酒は飲まない(飲めない)し、帰りに仲間とワイワイすることもあまりない。「カラオケは人生で3回しか行ったことがありません」。うーん、まじめすぎる…。そんな安斎くんの夢は、「国際棋戦で優勝すること」。とくに昨年、中野杯での中国遠征は貴重な経験になったようだ。「中国がそれほど強いとは思わないのに負かされるのは僕が弱いということなんです」。超まじめ人間がチラッと見せた負けん気だった。

【「NHK囲碁講座」2005年3月号(高見亮子)】
19歳とは思えない、落ち着いた物腰と目の奥に囲碁への真っ直ぐな情熱を秘める好青年。プロ入り2年目の2004年、24勝10敗という成績を挙げ、最終局で二段昇段を果した。2005年の目標は「三星火災杯で本戦入りすること」。世界戦で活躍できるような棋士を目指す注目のホープだ。
4歳の頃「オセロが強かったらしく、母からオセロに似ているからやってみたらと言われて」碁を始めた。家族の中に碁を打つ人はいなかった。そこで町の広報誌から囲碁クラブを見つけ、「図書館の2階」に月2回通い始めた。先生は囲碁クラブの会長、アマ2段の石川さん。「負けると泣かれて困った」とか。家ではお母さんが碁の本を読んでくれたこともあった。字より碁を先に覚えてしまったわけだ。
その後「町内で一番強い」安部先生のお宅に毎週土曜日通うようになり、やがて宋光復九段に紹介される。院生に入ったのは小学校5年生の時だ。「それまで同世代のことあまり対局していなかったので、院生は楽しかったというか、居心地が良かった」
院生3年目、1999年にたまたま予選を抜けてプロ試験の本戦に入った。結果は6勝21敗。惨敗だった。「これで目が覚めました」と安斎二段。このころ師匠の宋九段からも「このままではプロになれないぞ」と進言され、猛勉強が始まった。「このままじゃいけないということに気づかないと、絶対にプロにはなれません。上にいけばいくほど、死に物狂いでやらないとだめだということがわかりました」
2001年は次点。無勝負、打ち直しとなった最後の一局を落して涙を飲んだ。「プロ挑戦を続ける自信がなくなりました」。翌年、見事にプロ入りを決めた。「受かるに決まっていると思っていました。今考えてみれば思い込みなのですが。でもそういう気持ちがとても大きかった」
いま研究会を中心にひたすら勉強している。「少し前まで韓国の真似をしていろいろな形を徹底的に研究したりしていたのですが、最近は自分自身の碁の力を高めることが大事だという気がしています。自分で最善の手を探せる能力を養うこと。このことが大事だと思うのです」