吉岡薫
よしおか かおる
Yoshioka Kaoru

1960年3月1日生れ

佐賀県出身
日本棋院・中部総本部所属。安永一氏に師事。1980年入段、1981年二段、1981年三段、1982年四段、1985年五段、1988年六段、1991年七段。2013年12月6日八段(勝ち数=150勝昇段)。
中部総本部で内弟子を取る棋士。
門下:下島陽平七段、金賢貞三段、川田晃平五段、柳澤理志三段、熊本秀生二段、 大澤健朗初段、鶴田和志初段。
棋風:
揮毫:

日本棋院の情報 「佐賀新聞」2007年1月4日の記事
【2013年1月4日 佐賀新聞】

新春恒例の「プロアマ囲碁対局」(佐賀新聞社主催)が1月3日、佐賀市の日本棋院佐賀中央支部で開かれた。神埼市出身のプロ棋士吉岡薫七段(52)=名古屋市在住=に、第34期県アマ囲碁最強者の久保弘さん(76)=小城市=が挑戦した。ファンが見守る中、熱戦を繰り広げ、吉岡七段が196手までで中押し勝ちを収めた。久保さんの先番、吉岡七段の6目半逆コミ出し。双方とも「厚みの碁」で立ちあがり、序盤は久保さんが左辺で有利に戦いを進めた。動きがあったのが中盤。中央の攻防戦で、吉岡七段が久保さんのゆるい手を見逃さずに逆転し、そのまま押し切った。吉岡七段は「久保さんが力を発揮する競り合いにならないよう、うまくかわせた。今年は自らが昇段するとともに、門下生からプロを出したい」と力強く語った。久保さんは「読みが雑になり、無理な手を打ってしまった。最強者戦(3月予定)は自然体で挑みたい」と話した。

【2012年1月3日 佐賀新聞】
新春恒例の「プロアマ囲碁対局」(佐賀新聞社主催)が1月3日、佐賀市の日本棋院佐賀中央支部であった。神埼市出身のプロ棋士吉岡薫七段(51)=名古屋市在住=に、第33期県アマ囲碁最強者の久保弘さん(75)=小城市=が挑戦した。集まった囲碁ファンが見守る中で緊迫した熱戦を展開。激しい攻防の末、吉岡七段が262手までで10目半勝ちを収めた。久保さんの先番、吉岡七段の6目半逆コミ出し。吉岡七段の模様に対し、久保さんは実利で対抗した。動きがあったのが中盤。右下隅で吉岡七段が久保さんの地を荒らし、中央に厚みを作りそのまま押し切った。吉岡七段は「久保さんの力強い攻めに慎重に対応した。今年は後進育成にさらに力を入れ、門下生からプロを出したい」と語った。久保さんは「後半崩れてしまった。最強者戦に向けて勉強し、地力を付けたい」と話した。吉岡七段は毎年佐賀県アマ囲碁最強者と対局している。

【「週刊碁」(2005年4月11日号) 「金賢貞のアンニョンハセヨ」】
今年4月、日本棋院中部総本部の柳沢理志(さとし)くんがプロ棋士としてスタートした。柳沢くんは吉岡薫七段門下。長野県出身。小学校を卒業した年、一人で名古屋に出てきて吉岡七段の門下に入った。
吉岡薫七段は日本棋院中部総本部所属で、プロ棋士の育成者として活躍している。弟子にとても優しく接し、碁もたくさん打ってくれるし、局後の検討もしっかりしてくれる。スパルタ教育の韓国とはちょっと違う指導をして下さる。
吉岡七段は「韓国の囲碁道場を目指してみたい」と語っている。師匠の姿勢を反映してか、吉岡門下の棋士は韓国との交流を深めている。吉岡門下の1番弟子・下島陽平七段は韓国の若手研究会・笑笑会に通ったことがあり、「やっぱり韓国は厳しいよ」と言っていた。2番弟子は私(金賢貞三段)、韓国出身。3番弟子の川田晃平三段は毎年韓国で行われる三星火災杯に参加しており、「いい勉強になります」と言っている。4番弟子の柳沢理志初段はどんな活動をするのであろうか。

[2003年9月11日(木) 日刊囲碁]
木谷道場の例を引くまでもなく、強いプロ棋士を育てる上で内弟子制度が効果的であることは誰もが認めるところ。しかし日本では少子化、核家族化とともに内弟子を取るプロ棋士は減るばかり。そんな中で名古屋の吉岡薫七段が内弟子を取って、棋士の育成に取り組んでいる。吉岡七段にインタビューする機会を得た。

Q.内弟子を取る棋士は珍しいですね。
A.たまたま下島陽平君を引き受けたのがきっかけで内弟子を取るようになりました。私自身、大阪で安永一先生のお宅で内弟子をしていた経験がありますから、内弟子制度の効用はよくわかっていました。下島君を預かった当時は私はまだ独身だった。当時話題になりましたが、実は独身だから下島君を預かりやすかったんです。結婚していたら難しかったかもしれません。いまは内弟子はいません。5年前に結婚したので、子供が大きくなるまで内弟子は取りづらかったんです。ただ妻は将来、内弟子を取ることを了解してくれていますから、子供が大きくなったらまた内弟子を取りたいと思っています。
Q.現在、名古屋で内弟子を取っている棋士はおられるのですか。
A.名古屋では土田正光先生、島村俊廣先生がかつて内弟子を取っておられましたが、今は名古屋で内弟子を取る棋士は私くらい。東京では大淵盛人九段さんが内弟子を取っています。
Q.今まで取った内弟子は?
A.下島陽平君、金賢貞(ヒョンジョン)さんの2人。川田晃平君、山森忠直君は通い弟子です。
Q.下島君を取るきっかけは?
A.長野の東急囲碁祭りに行ったときにプロ棋士になりたいという少年がいるといって、下島君を紹介されました。そのとき東急囲碁祭りには小林覚さん、山城宏さん、Mレドモンドさん、恩田烈彦さん、そして私(吉岡薫七段)が参加していました。小林覚さんは今は弟子を取らないということで、私が羽根泰正先生、山城宏さんにあたったのですが誰も内弟子は取らないという。そこで私が引き取ったのです。当時独身だったので話題になりました。
Q.金賢貞(ヒョンジョン)さんを取るきっかけは?
A.ヒョンジョンのおばあちゃんは日本人と結婚して日本にいました。孫娘がプロ棋士を目指しているということで長野の東急囲碁祭りにおばあちゃんが来ていました。そのとき私が相談に乗ったのです。当時ヒョンジョンは韓国の女流入段試験で第3位となり、韓国でプロ棋士にはなれなかった。そこでおばあちゃんがヒョンジョンを日本に呼び、2月始め、私が名古屋で試験碁を打ちました。ヒョンジョンは2子局で私に負けたのですが、私が「家に来てもいいよ」というと、その場で自分から「お願いします」と答えました。「しっかりした子だな」と思いました。当時、ヒョンジョンは15歳、中学3年でした。帰国後すぐ彼女の父親から「よろしくお願いします」と電話がありました。ヒョンジョンの父親は親日家だったんです。日本に来たヒョンジョンは勉強家で、1週間でひらがな、カタカナを読めるようになり、50まで日本語で数えられるようになりました。
Q.川田晃平君の場合は?
A.川田君は通いです。小学6年で名古屋の院生になったのですが、その後身体を壊して一度プロをあきらめました。その後、高校選手権で岐阜代表となり高校3年で入賞。新垣武九段に勧められて再度プロを目指しました。19歳の時、当時小学5年の井山裕太くんを破って入段を果たしましたが、話題になりました。
Q.山森忠直君の場合は?
A.山森君は正式には弟子ではないのですが、入段前、福井に住んでいて土曜日に名古屋に来ては日曜日に帰る生活を送っていました。土曜日は私の家に泊まっていました。
Q.現在は若手研究会を主催されているそうですね。
A.1998年12月に若手棋士を中心に研究会を開始しました。メンバーは現在、棋士6人、院生6人の計12人。月2回、第2、第4金曜日に研究会を開催しています。毎回8〜12人の棋士・院生が参加しています。昼食後集合。13時から検討。主に若手の打ち碁の棋譜をみて考え方を見ます。15時からリーグ戦。夕食後、19時30分まで詰め碁です。詰め碁は大事。「正確に読む」「相手の最強手を読む」という訓練になります。詰め碁の問題は最近は山森君、下島君が作ったものを使っています。ほかに年2回、春、秋に2泊3日の合宿をやります。
Q.韓国の金原(キム・ウォン)六段と交流があるそうですね。
A.韓国の囲碁教室は有名ですが、囲碁教室を運営している韓国の棋士から「なぜ日本は内弟子制度を止めてしまったのか」と聞かれます。韓国でも優秀な子を早い時期から内弟子にするのが、強い棋士を作るのには最も効果があると気づいています。最近は韓国でも内弟子を取る棋士がでてきました。金原六段、権甲龍七段、許壮会九段などが有名です。特に金原さんは最近内弟子を取り始めました。金原さんは独身で内弟子を取ったなど私と境遇がよく似ています。そんな縁もあり金原さんとは交流があります。彼の教室からは朴ジンソル初段、李載雄初段など優秀な棋士が輩出されています。金原さんの所には現在、小学生、中学生の内弟子が15人います。中心は小学生。「内弟子になるのは早いうちがいい」という金原さんの考えからです。金原の教育はスパルタ、私は放任主義と、二人のスタイルには違いがある。
Q.これからの目標は
A.内弟子を育てて強い棋士を作りたい。吸収力は人によって違います。だから弟子にはいろいろな研究会にも行かせたい。「下島が目標です」という子を早く育てたいですね。これが当面の目標です。またヒョンジョンには感謝しています。ヒョンジョンを預かったことで韓国と交流することができるようになるなど、彼女のお陰で得るものが非常に多くありました。