1974年12月3日


文芸春秋1975年5月号より
1974年12月3日、日本棋院の渉外担当理事・杉内雅男九段は、第1期以来「名人戦」を主催している読売新聞社を訪れて、「名人戦契約に関する申し入れ」と題した一通の書状を担当の文化部長に渡した。その主文は次のようなものだった。
――第14期名人戦挑戦者決定リーグの途中にあって、誠に遺憾でありますが、左記に述べる事由により、貴社との名人戦契約は第14期をもって打ち切り、第15期以降については、新しい構想により、再発足することに致しましたので、この旨、御通知致します。
そして「記」として、6項にわたって述べられているが、それは要約すれば以下の2項目になる。
1.名人戦の開始以降、契約者に契約金の増額は物価変動によることが明記されているにもかかわらず、そしてまた毎期の契約時に再三にわたり(棋院が)増額要請しているもにかかわらず、この14年間、読売新聞社は昭和46年第11期の更改に際して、契約金の10%を増額したにとどまった。こうして長年月にわたって棋院の要求はことごとく無視されたまま今日に及んでいる。
2.棋院の要求が容れられず、両者の意見の合致がみられぬままに、昭和42年第7期より第10期まで、および昭和47年第12期以降今日に至るまで、長期間にわたり無契約の状態で棋院は棋戦の継続を余儀なくされた。このような状況では、名人戦を斯界最高のものとするには足りず、棋士の生活を確保することを使命とする棋院としては、新構想による再発足を決意するのやむなきに至った。
以上の2項目の要約は、私(三好徹)が勝手にやったものではない。6日後の12月9日に杉内理事名で各棋士にくばられた文章の中から、理由の部分をそっくり引用したものである。
一言で言えば、このインフレのご時勢にいくら値上げを要求しても承諾してくれないから、もうつきあわないぞ、という絶縁状である。一読した担当者が、それについてはお話したいことがある、と口を切ると、杉内理事は後で聞こうという意味のことをいい、すっと席を立って帰ってしまった。印象としては問答無用の感を免れないであろう。
そこで読売新聞は7日付けで日本棋院理事長・有光次郎、理事・杉内雅男宛に申入れ書を持参した。その中の肝心な一節は次の一節である。
――(棋院の)お申入れの細部についてご趣旨を了解するとともに棋院のご理解をいただきたい点もありますが、とくにここで強調したい唯一のお願いは、現渉外担当理事・杉内雅男殿との交渉はかつて一度も行われたことがなく、とにかくまず話し合いの機会を与えていただきたいということであります。
この時点で、読売新聞側には新構想による再発足というのが具体的に何を意味するのか、はっきりとはつかめていなかったようである。寝耳に水の申入れに仰天していたことは疑いがない。


最終更新日: 2010年3月20日