1948年7月7日


【呉−岩本戦】黒 本因坊薫和、白 呉清源八段

1948年7月7日、呉清源八段(当時)と岩本薫和本因坊との十番碁第1局。本因坊は▲とコウを取り、次にイと、白1子を打ち抜く手を省略して、このまま終局と宣言した。呉八段は打ち抜くべきである、と主張した。この碁は白にコウ立てが少なく、ダメもない。当時はまだルールは慣習によっていた。この碁は白が黒の主張を入れても勝負には関係がなかったため、立会人の瀬越憲作八段(当時)が「白の1目ないし2目勝ち」と異例の裁定を下したのだった。主催紙・読売新聞社の報道でファンの関心が高まり、大倉喜七郎氏(後に日本棋院名誉総裁)の提唱により、翌年の日本囲碁規約の制定につながったのである。(赤松正弘)

「手入れの問題」については、日本囲碁史上、二つの有名な事例がある。ひとつが1948年7月7日の【呉−岩本戦】で、もう一つが1959年1月10日の【呉−高川戦】だ。


最終更新日: 2009年1月31日