ソウル経済新聞社主催、韓国の証券会社・東洋証券がスポンサーの国際棋戦。1992年(3期)から国際棋戦になる。1997年(8期)から準決勝の3番勝負のシステムはなくなった。1999年決勝五番勝負途中で中断された。決勝戦は5番勝負。持ち時間3時間。コミは5目半。優勝賞金1億ウォン(1800万円)。2月末から6月にかけてが開催される。
期 | 年 | 優勝者 | コメント |
9 | 1998 | 韓国・李昌鎬九段 |
(5月13日)決勝5番勝負第4局は韓国・李昌鎬九段が韓国・劉昌赫九段を下し、3勝1敗で優勝した。 (5月11日)決勝5番勝負第3局は韓国・李昌鎬九段が韓国・劉昌赫九段を下した。 (4月22日)決勝5番勝負第2局は韓国・劉昌赫九段が韓国・李昌鎬九段を黒番半目勝ちで下した。 (4月20日)決勝5番勝負第1局は韓国・李昌鎬九段が韓国・劉昌赫九段を黒番中押勝ちで下した。 (3月29日)準決勝戦が韓国棋院で行われた。 韓国・李昌鎬九段○−●中国・兪斌九段:黒番5目半勝ち 韓国・劉昌赫九段○−●日本・柳時熏七段:黒番1目半勝ち (3月27日)準々決勝戦が韓国で行われた。 韓国・李昌鎬九段○−●日本・林海峰九段:白番中押勝ち 日本・柳時熏七段○−●韓国・李聖宰四段:黒番5目半勝ち 中国・兪斌九段○−●米国・M・レドモンド八段:黒番5目半勝ち 韓国・劉昌赫九段○−●日本・趙治勲九段:不戦勝 (1月23日)第2回戦が韓国棋院で行われた。 中国・兪斌九段○−●台湾・周俊勲六段:228手黒番7目半勝ち 米国・M・レドモンド八段○−●韓国・金栄桓四段 韓国・李聖宰四段○−●中国・馬暁春九段:209手黒番1目半勝ち 日本・柳時熏七段○−●韓国・金秀壮(キム スージャン)九段 韓国・劉昌赫九段○−●日本・小林覚九段:194手白番中押勝ち 日本・趙治勲九段○−●中国・周鶴洋(チォウ ホヤン)七段:282手半目勝ち 韓国・李昌鎬(イチャンホ)九段○−●日本・片岡聡九段:304手白番1目半勝ち 日本・林海峰九段○−●韓国・゙薫鉉九段 (1月21日)第1回戦が韓国棋院で行われた。 中国・周鶴洋七段○−●韓国・崔明勳:白勝ち 韓国・劉昌赫九段○−●中国・常昊八段::263手黒中押勝ち 韓国・金秀壮九段○−●日本・小松英樹九段:145手黒中押勝ち 韓国・李聖宰四段○−●日本・加藤正夫九段:287手黒半目勝ち 他の4局は不明 (1997年11月?日)本戦参加の24名が決定した。韓国10名(徐奉洙九段ほか)、日本7名(加藤正夫九段ほか)、中国4名、台湾2名(周俊勲六段、陳国興四段)、アメリカ1名(M・レドモンド八段)である。 (1997年11月19.21日)国際予選最終選出戦が韓国棋院で行われた。韓国から第2回戦選出の10名と各国の招待選手10名(日本・林海峰九段、武宮正樹九段、中国・常昊八段、米国・M・レドモンド八段等)により争われ、つぎの5名が国際予選を通過した。 片岡聡九段(日本)、陳国興四段(台湾)、M・レドモンド八段(米国)、常昊八段(中国)、林海峰九段(日本) (1997年10月14.15.17日)韓国予選選出第2回戦が韓国棋院で行われた。第1回戦選出の12名と四段以上の49名合計61名の中からつぎの10名が最終戦に進出する。 金寅九段、尹奇鉉九段、金熙中九段、白成豪九段、林宣根八段、趙大賢八段、金坐基七段、丁鉉山六段、金萬樹二段、姜至省初段 97.10.20 pusan ilbo
(1997年9月1.2.4日)予選選出第1回戦が韓国棋院で行われた。参加者80名の中から12名が第2回戦に進出した。 |
8 | 1997 | 韓国・゙薫鉉九段 |
(1997年4月18日)決勝戦5番勝負第3局は韓国・゙薫鉉九段が日本・小林覚九段を下し、3勝0敗で優勝した。 (1997年4月?日)決勝戦5番勝負第2局は韓国・゙薫鉉九段が日本・小林覚九段を下した。 (1997年3月31日)決勝戦5番勝負第1局は韓国・゙薫鉉九段が日本・小林覚九段を下した。 (1997年3月9日)準決勝戦が行われた。 小林覚九段(日)○−●李昌鎬(韓) ゙薫鉉九段(韓)○−●金榮桓四段(韓) (?月?日)準々決勝戦が行われた。 小林覚(日)○−●趙治勲(日) 李昌鎬(韓)○−●馬暁春(中) ゙薫鉉九段(韓)○−●王磊六段(中国) 金榮桓四段(韓)○−●柳時熏(日) (1月9日)第2回戦が行われた。 小林覚(日)○−●゙大元(中) 趙治勲(日)○−●常昊七段(中) 李昌鎬(韓)○−●加藤正夫(日) 馬暁春(中)○−●小林光一(日) ゙薫鉉(韓)九段○−●王立誠(日) 王磊六段(中国)○−●武宮正樹(日) 金榮桓四段(韓)○−●劉小光九段(中) 柳時熏(日)○−●聶衛平(中) (1月7日)第1回戦(韓国・ソウル市)が行われた。 ゙大元(中)○−●張秀英(韓) 常昊七段(中)○−●徐能旭(韓) 加藤正夫(日)○−●徐奉洙(韓) 小林光一(日)○−●崔明勲五段(韓) 王立誠(日)○−●劉昌赫(韓) 王磊六段(中)○−●姜勲(韓) 金榮桓四段(韓)○−●周俊勲四段(台) 柳時熏(日)○−●金秀壮(韓) |
7 | 1996 | 韓国・李昌鎬七段 |
(2月26日〜3月20日)決勝5番勝負で韓国・李昌鎬七段が中国・馬暁春九段を?勝?敗で下した。 (1996年1月26日)準決勝3番勝負第3局は中国・馬暁春九段が韓国・゙薫鉉九段を2勝1敗で下した。 (1996年1月24日)準決勝3番勝負第2局は韓国・゙薫鉉九段が中国・馬暁春九段を下した。 (1996年1月22日)準決勝3番勝負第1局は中国・馬暁春九段が韓国・゙薫鉉九段を下した。 |
6 | 1995 | 中国・馬暁春九段 |
(5月24日)決勝5番勝負第4局は中国・馬暁春九段が中国・聶衛平九段を下し、3勝1敗で優勝した。 (4月17日)決勝5番勝負第1局は中国・馬暁春九段(31)が中国・聶衛平九段(43)を209手黒番中押勝ちで下した。 (3月22.24.26日)準決勝(3番勝負)は中国・聶衛平が日本・山城宏を2勝1敗で下し、中国・馬暁春九段が韓国・゙薫鉉九段を2勝1敗で下した。 (1994年11月14日)準々決勝が韓国で行われた。 中国・聶衛平○−●日本・依田紀基 韓国・゙薫鉉九段○−●中国・銭宇平 日本・山城宏九段○−●韓国・劉昌赫 中国・馬暁春○−●??? (1994年10月16.18日)1回戦、2回戦が開催され、ベスト8が決定した。日本は大竹英雄、武宮正樹、片岡聡、小松英樹が姿を消し、中国は楊暉(女流)、張文東が姿を消し、韓国は金東Y、尹R哲、梁建、趙治勲、徐奉洙、張秀央、李昌鎬が姿を消した。台湾は王立誠、陳永安が姿を消した。米国は車敏洙が姿を消した。 |
5 | 1994 | 韓国・゙薫鉉九段 |
(6月22日)決勝5番勝負第4局は韓国・゙薫鉉九段が日本・依田紀基九段を157手中押勝ちで下し、3勝1敗で優勝した。優勝賞金は1億ウォン。 (?月?日)準決勝3番勝負が行われた 依田紀基(日)○2-0●劉昌赫(韓) ゙薫鉉九段(韓)○2-0●聶衛平(中) (?月?日)準々決勝戦が行われた。 依田紀基(日)○−●林海峰(台) 劉昌赫(韓)○−●馬暁春(中) 聶衛平(中)○−●趙治勲(日) ゙薫鉉九段(韓)○−●M・レドモンド七段(米) (1993年11月18日)2回戦(韓国ソウル)が行われた。 林海峰(台)○−●劉小光九段(中) 依田紀基(日)○−●李昌鎬(韓) 馬暁春(中)○−●加藤正夫(日) 劉昌赫(韓)○−●小松英樹(日) ゙薫鉉九段(韓)○−●山城宏(日) M・レドモンド(米)○−●徐奉洙(韓) 聶衛平(中)○−●武宮正樹(日) 趙治勲(韓)○−●兪斌(中) (1993年11月16日)1回戦(韓国ソウル)が行われた。 劉小光九段(中)○−●金承俊(韓) 依田紀基(日)○−●林聖賢(台) 加藤正夫(日)○−●尹盛鉉(韓) 小松英樹(日)○−●梁宰豪(韓) 山城宏(日)○−●金哲中(韓) M・レドモンド(米)○−●グローネン(欧) 武宮正樹(日)○−●鄭弘(中) 兪斌(中)○−●林宣根(韓) |
4 | 1993 | 韓国・李昌鎬六段 |
(1993年6月8日)決勝5番勝負第3局は韓国・李昌鎬六段が韓国・趙治勲九段を232手まで白番半目勝ちで下し、3勝0敗で優勝した。2連覇。 (1993年4月24日)決勝5番勝負第2局は韓国・李昌鎬六段が韓国・趙治勲九段を黒番半目勝ちで下した。 (1993年4月22日)決勝5番勝負第1局は韓国・李昌鎬六段が韓国・趙治勲九段を下した。 (1993年2月9日)準決勝3番勝負第2局が行われ、ともに2勝0敗で勝ち抜けた。 李昌鎬六段(韓国)○−●゙薫鉉九段(韓国):269手黒中押勝ち 趙治勲九段(韓国)○−●聶衛平九段(中国):226手黒中押勝ち (1992年11月12日)準々決勝戦(ソウル)が行われた。 趙治勲九段(韓国)○−●金秀壮八段(韓国) 聶衛平九段(中国)○−●林海峰九段(台湾) 李昌鎬六段(韓国)○−●劉昌赫五段(韓国) ゙薫鉉九段(韓国)○−●馬暁春九段(中国) (1992年7月29日)第2回戦が行われた。日本代表は五人全員が早くも姿を消したが、日本棋院所属棋士としては趙治勲本因坊(韓国)と林海峰天元(中華台北)の二人が準々決勝に進んだ。 劉昌赫五段(韓国)○−●加藤正夫九段(日本) 李昌鎬六段(韓国)○−●金哲中(韓国) 馬暁春九段(中国)○−●姜勲(韓国) ゙薫鉉九段(韓国)○−●呉圭(韓国) 金秀壮八段(韓国)○−●武宮正樹九段(日本) 趙治勲九段(韓国)○−●陳臨新(中国) 聶衛平九段(中国)○−●依田紀基八段(日本) 林海峰九段(台湾)○−●徐奉洙九段(韓国) (1992年7月25日)第1回戦が行われた。 徐奉洙九段(韓国)○−●小松英樹八段(日本) 依田紀基八段(日本)○−●林宣根七段(韓国) 陳臨新(中国)○−●彭景華(台湾) 金秀壮八段(韓国)○−●車敏洙(米国) 呉圭(韓国)○−●森山直棋八段(日本) 姜勲(韓国)○−●Vダネック(欧州) 金哲中(韓国)○−●林聖賢(台湾) 劉昌赫五段(韓国)○−●車沢武(中国) (1992年7月19日)日本代表として武宮十段、加藤九段、依田、小松、森山八段の計5人が出場した。6か国・地域から24人が参加して韓国で開かれた。 |
3 | 1992 | 韓国・李昌鎬五段 |
(1992年1月27日)決勝5番勝負第5局(ソウル)は韓国・李昌鎬五段(16)が台湾・林海峰九段を235手まで白番1目半勝ちで下し、3勝2敗で優勝した。李昌鎬五段は国際棋戦初優勝。 (1992年1月25日)決勝5番勝負第4局(ソウル)は韓国・李昌鎬五段(16)が台湾・林海峰九段を279手まで黒番4目半勝ちで下した。 (1992年1月23日)決勝5番勝負第3局(韓国慶州)は台湾・林海峰九段が韓国・李昌鎬五段(16)を205手まで黒番中押勝ちで下した。 (1991年9月20日)決勝5番勝負第2局(台湾)は韓国・李昌鎬五段(16)が台湾・林海峰九段を245手まで黒番1目半勝ちで下した。 (1991年9月18日)決勝5番勝負第1局(台湾)は台湾・林海峰九段が韓国・李昌鎬五段(16)を271手まで黒番半目勝ちで下した。 (1991年6月13、15、17日)準決勝戦(ソウル)が行われた。 李昌鎬五段(韓国)が゙薫鉉九段(韓国)を2勝1敗で下した。 林海峰九段(台湾)が趙治勲九段(日本)を2勝0敗で下した。 (1991年4月?日)準々決勝戦(ソウル)が行われた。 李昌鎬四段(韓国)○−●銭宇平九段(中国) ゙薫鉉九段(韓国)○−●聶衛平九段(中国) 趙治勲九段(日本)○−●片岡聡九段(日本) 林海峰九段(台湾)○−●淡路修三九段(日本) (1990年12月3日)第2回戦(ソウル)が行われた。 李昌鎬四段(韓国)○−●尹奇鉉九段(韓国) 銭宇平九段(中国)○−●武宮正樹九段(日本) ゙薫鉉九段(韓国)○−●大竹英雄九段(日本) 聶衛平九段(中国)○−●山城宏九段(日本) 片岡聡九段(日本)○−●金熙中七段(韓国) 趙治勲九段(日本)○−●馬暁春九段(中国) 淡路修三九段(日本)○−●徐奉洙九段(韓国) 林海峰九段(台湾)○−●曹大元九段(中国) (1990年12月1日)第1回戦(ソウル)が行われた。 尹奇鉉九段(韓国)○−●彭景華五段(台湾) 銭宇平九段(中国)○−●鄭壽鉉六段(韓国) 大竹英雄九段(日本)○−●Mレドモンド七段(米国) 山城宏九段(日本)○−●金日換六段(韓国) 片岡聡九段(日本)○−●Rファンザイスト(欧州) 馬暁春九段(中国)○−●小林覚九段(日本) 淡路修三九段(日本)○−●劉昌赫四段(韓国) 曹大元九段(中国)○−●白成豪七段(韓国) (1990年12月1日)この年から国際棋戦になった。 |
2 | 1991 | 徐奉洙九段 | 徐奉洙九段が李昌鎬五段を3勝1敗で下した。韓国の国内棋戦だった。 |
1 | 1990 | 梁宰豪七段 | 梁宰豪七段が張秀英八段を3勝1敗で下した。韓国の国内棋戦だった。 |