1994年創設。2000年終了。日本棋院・関西棋院所属の棋士と韓国棋院所属の新鋭棋士による非公式交流戦。
期 | 年 | 優勝者 | コメント |
8 | 2001 | 開催されず | 7月28日に行なわれる予定だったが、三星杯予選と日程調整がつかず中止となった。 |
7 | 2000 | 韓国 |
韓国20勝、日本16勝。 (7月31日)第2回戦は日本9勝、韓国8勝だった。 (7月29日)第1回戦は日本7勝、韓国12勝だった。 対局数は一人2局。出場したメンバーは以下の通り。 清成哲也九段(2勝0敗)、倉橋正行九段(2勝0敗)、太田清道九段(1勝1敗)、横田茂昭九段(1勝1敗)、中野寛也九段(0勝2敗) 大矢浩一八段(1勝1敗)、今村善彰八段(1勝1敗)、矢田直己八段(0勝2敗)、羽根直樹八段(1勝) 秋山次郎(2勝0敗)七段、酒井真樹七段(1敗) 山下敬吾六段(2勝0敗)、金澤秀男六段(0勝2敗)、金野為人六段(0勝2敗) 金秀俊五段(1勝1敗)、藩善h五段(1勝1敗)、榊原史子五段(1敗) ハンス・ピーチ三段(1敗) 巻幡多栄子初段(1勝1敗)、金賢貞初段(0勝2敗) |
6 | 1999 | 韓国 |
韓国29勝、日本27勝。 日本選手は苑田勇一九段、清成哲也九段、今村俊也九段、横田茂昭九段、広江博之九段、中野寛也九段、大矢浩一八段、酒井真樹七段、山田規三生七段、高尾紳路六段、河野光樹六段、秋山次郎六段、山下敬吾六段、金沢秀男五段、金秀俊五段、Hピーチ二段、黄奕均初段の17人。韓国選手の主将は尹盛鉉(ユン・ソンヒョン)六段。 (1999年8月2日)第2回戦は日本16勝、韓国8勝だった。 (1999年7月31日)第1回戦は日本11勝、韓国21勝だった。 |
5 | 1998 | 韓国 |
韓国49勝、日本24勝。 (8月3日)第3回戦は日本8勝、韓国16勝だった。 (8月3日)第2回戦は日本10勝、韓国14勝だった。 (8月1日)第1回戦は日本6勝、韓国19勝だった。 |
4 | 1997 | 日本 |
日本18勝、韓国12勝。 |
3 | 1996 | 韓国 |
韓国23勝、日本19勝。 |
2 | 1995 | 日本 |
(10月17-19日)日本24勝、韓国15勝。 |
1 | 1994 | 韓国 |
韓国11勝、日本9勝。 日本の敗因は(1)真剣さの度合いが違った。(2)勉強法は韓国の方が賢い。(3)韓国の囲碁人口は総人口の2割で、棋士の地位は高い。日本の囲碁人口は少ない。だった。 |