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世界初の囲碁サーバ・IGSのことを知りたい
日時: 2002/11/04 13:40
名前: 囲碁データベース   <igoigo@jcom.home.ne.jp>

世界初の囲碁サーバ・IGSの誕生、その後のことを知りたいのですが
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Re: 世界初の囲碁サーバ・IGSのことを知りたい ( No.1 )
日時: 2002/11/04 13:40
名前: 囲碁データベース  <igoigo@jcom.home.ne.jp>

【2003年2月19日 中国囲碁網「棋人棋事フォーラム」(多九公)】
1992年2月17日、世界初のインターネット囲碁サーバIGS(Internet Go Server)が米国・ニューメキシコ州立大学で稼動した。設計者はTim Casey、管理人はtweet、対局料は無料であった。

IGSが誕生する以前、米国ではパソコンネットSierraNetworkで囲碁対局システムが稼動していたが、毎月基本料金$13.00ドル、30時間超で追加料金を取られていた。IGSは無料ということで、パソコンネットで碁を打っていた人は続々IGSに移動し、IGSは急速に参加者が増加した。参加者が多いことから欧米各国や日本、台湾の囲碁ファンもIGSに参加し、参加者はさらに増加した。この結果、有料の碁ウェブサイトは急速に衰えて行った。

IGS出現は世界のアマ囲碁ファンにとって福音だっただけではなくて、プロ棋士の興味をも引き起こした。開設2ヵ月後の1992年4月24日、その時すでにアメリカにいた江鋳久九段がIGS上で碁を打っている。このとき使ったハンドルネームはtobeだった。また1992年7月には、アメリカ在住の金茜倩五段がアメリカに留学していた前台湾"名人"の陳士(IGS上ではshearというハンドル名を使っていた)とIGSで碁を打っている。

1992年9月9.10日、日本の第17期名人戦挑戦手合7番勝負第1局はオランダの首都Amsterdamで行われたが、オランダの囲碁ファンJansteenなどにより、棋譜がIGSに入力され、IGS上で初めてプロ対局が"中継"され、世界の100人以上の囲碁ファンがプロ棋戦を観戦した。その際、名人戦立会人の石田芳夫九段がIGS上で指導碁を打っている。1993年末、日本の羽根泰正九段と宮本直毅九段がヨーロッパを訪問した際、AmsterdamでIGS上から羽根泰正九段が指導碁を打っている。1993年、江鋳久九段はIGS上で台湾の周俊勲によく指導碁を打っていた。アメリカ滞在の中国棋士の楊以倫七段は1994年後半からずっとIGSを使って指導碁を打っている。

当初、IGSのランキングは比較的緩めだった。6局以上打てば"*"(認定サイン)がつき、最高段位の6d(6段)になる人もいっぱいいた。しかしIGS上で碁を打つ囲碁ファンの人数が増加するに従って、名ばかりで実力がない"段位膨張"が生じ、IGS上の至る所で各種の問題を引き起こす6d*や7d*が生れた。1993年6月、IGSはランキング制度を改め、20局以上打で"*"(認定サイン)がつき、信用できる人士の推薦がない限り4d(4段)を上回ることはできない制度に移行することにした。すでに存在したの5dから7dまでは一挙になくすという、IGS史上最大の"陰謀"を下準備したのである。

1993年6月某日、IGSは一晩で5d以上を平均で1-2d下げて、6d、7dをなくした。これが世にいう"六段大殺戮"(6-danmassacre)事件だ。それまで1局打つたびに等級別点数が昇降する仕組みのランキングシステムで、囲碁ファンは1局打つたびに自分の等級を小数点以下2位まで見ることができたので、対局相手の等級別点数をチェックして対局できたが、このとき以降小数点以下の数字を見ることができなくなり、多くの囲碁ファンの不満を引き起こした。

1992年から1994年まで、IGSサーバはニューメキシコ州立大学、UC-Berkeley州立大学、タチ州大学(U.Penn)、UCSF、フランスと少なくとも5回「引越し」をした。ドイツまで引越したことがあったかもしれない。その間ではUC-Berkeley州立大学にIGSサーバがあった時間が一番長かった。フランスには1992年4月からIGSサーバが開設され、アメリカのserverが一時的に閉鎖された時はフランスでサーバ業務を代行していた。

1994年1月に、「IGSは日本あるいは韓国に売られて、利用料は有料になる」というニュースが伝わった。各国の囲碁ファンはrec.games.goとIGS上でこの話題で激論をした。どのような料金(有料)にするかという意見が入り乱れたが、激論が何ヶ月か続いて1局$2米ドルにする案が有力となった。もちろん圧倒的大多数はIGSの有料化に反対だった。
IGSは多くの人が大量の時間と精力を費やして育て上げたのに、なぜ一部の管理者がIGSを売り払うかどうか決めるのかと囲碁ファン達は感じていた。しかし抵抗派は少数派で、「有料化されたも1局$2米ドルならIGSで碁を打つ」という有料化支持派が次第に優位に立った。

1995年の初め、IGSは韓国のI-Netに売られた。このときから韓国、日本では有料となった。しかし韓国、日本以外の各国の囲碁ファンは引き続き無料でIGSにアクセスできた。IGSの“新しい支配人”は聡明にもこのような仕組みを作った。当時、IGS上で碁を打つのは主に欧米囲碁ファンだったからだ。しかし韓国、日本の囲碁ファンは、IGSにアクセスするには必ずI-Net(韓国)かPandaNet(日本)を通らなければならなくなった。以前からIGSで碁を打っていた日韓の囲碁ファンは1995年以降、I-NetあるいはPandaNetに金を払わなければIGSを使うことができなくなった。無料時代にIGSに入っていた日韓の囲碁ファン達にとって、IGSは有料になったのだ。1995年以降は韓国の囲碁ファンはIGSできわめて少なくなった。日本の囲碁ファンは不平不満の声は韓国に比べてはるかに多かった。
IGSが韓国に移った後、I-Netは何度か設備をモデルチェンジしたので、IGSのアクセススピードはアメリカの時に比べて速くなり、同時にアクセスできる人の数も大幅に増えた(同時に1000人近くがアクセスできるようになった)。
また中日韓の囲碁ファンが大量に参加するようになり、どの時間にIGSいっても誰かが碁を打っている状態になった。瞬間アクセス数が1200人という時もあった。IGSは名実ともに世界最大の囲碁クラブになった。
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