今村俊也
いまむら としや
Imamura Toshiya
1966年3月29日生れ
A型
奈良県出身
関西棋院所属。苑田勇一門下。1980年3月入段(14歳)。1990年9月九段(24歳)。九段昇段時、関西棋院の現役で29人目、日本棋院を合わせて現役九段は79人になった。入段以来10年6か月のスピード昇段だが、橋本昌二・九段の23歳、清成哲也九段の10年3か月の記録にはわずかに及ばなかった。
奥様は今村康子さん。囲碁インストラクターとして活躍している。
2010年12月31日現在通算成績=576勝302敗1ジゴ
2011年45歳??勝??敗通算???勝??敗
2010年44歳19勝12敗通算576勝302敗1ジゴ
2009年43歳23勝11敗通算557勝290敗1ジゴ
2008年42歳24勝15敗通算534勝279敗1ジゴ
2007年41歳31勝14敗通算510勝264敗1ジゴ
2006年40歳28勝23敗通算479勝250敗1ジゴ
2005年39歳35勝16敗通算451勝227敗1ジゴ
2004年38歳21勝13敗通算416勝211敗1ジゴ
2003年37歳25勝 9敗通算395勝198敗1ジゴ
2002年36歳29勝12敗通算370勝189敗1ジゴ
2001年35歳19勝14敗通算341勝177敗1ジゴ
2000年34歳32勝17敗通算322勝163敗1ジゴ
1999年33歳??勝??敗通算290勝146敗1ジゴ
1998年32歳??勝??敗通算??勝??敗
1997年31歳??勝??敗通算??勝??敗
1996年30歳??勝??敗通算??勝??敗
1995年29歳??勝??敗通算??勝??敗
1994年28歳??勝??敗通算??勝??敗
1993年27歳??勝??敗通算??勝??敗
1992年26歳??勝??敗通算??勝??敗
1991年25歳??勝??敗通算??勝??敗
1990年24歳??勝??敗通算??勝??敗1990年九段(24歳)。
1989年23歳??勝??敗通算??勝??敗
1988年22歳??勝??敗通算??勝??敗
1987年21歳??勝??敗通算??勝??敗
1986年20歳??勝??敗通算??勝??敗
1985年19歳??勝??敗通算??勝??敗
1984年18歳??勝??敗通算??勝??敗
1983年17歳??勝??敗通算??勝??敗
1982年16歳??勝??敗通算??勝??敗
1981年15歳??勝??敗通算??勝??敗
1980年14歳??勝??敗
1980年入段。
棋風:手厚い碁を好み、攻めが強い。世界一厚い碁といわれるが、最近はだいぶ地に辛くなってきた。
揮毫:心如水
2002年(第46期)関西棋院第一位戦優勝(36歳)
2000年(第44期)関西棋院第一位戦優勝(34歳)
1998年(第42期)関西棋院第一位戦優勝(32歳)
1994年(第38期)関西棋院第一位戦優勝(28歳)
1989年(第14期)碁聖戦挑戦者(23歳)
1984年9月(第9期)新人王戦優勝(18歳)
1984年(第15期)新鋭戦優勝(18歳)
2000年1月1日以降国際棋戦成績=1勝5敗(対韓国:0勝2敗、対中国:0勝2敗、対他:1勝1敗)
対局日棋戦名勝敗対戦相手
2008.08.25第4回トヨタ&デンソー杯2回戦李世石九段(韓国)
2008.08.23第4回トヨタ&デンソー杯1回戦クリスチャン・ポップ・アマ七段(欧州)
2008.03.15第7回春蘭杯1回戦車敏洙四段(米国)
2006.11.22第8回農心杯彭筌七段(中国)
2006.08.08第18回テレビアジア杯李昌鎬九段(韓国)
2000.05.28第12回テレビアジア杯丁偉七段(中国)
1988.04.08第1回富士通杯1回戦加藤正夫九段(日本)
関西棋院の情報 韓国棋院の情報
写真(38歳) 写真(39歳) 写真(40歳) 写真(41歳)
【「NHK囲碁講座」(2006年4月号)(佐野真)】
ここ数年の今村の充実ぶりは目覚しい。22年前には新人王戦と新鋭トーナメント戦で優勝するなど、「東の依田、西の今村」と並び称され、将来を嘱望されていたのだが、以降は大きな活躍をすることなく(関西棋院所属棋士限定の関西棋院第1位決定戦で4度優勝があるのみ)、長い長い雌伏(しふく)の時期を過ごしていた。
しかし前々期の名人戦リーグに初参加を果すと、優勝争いに加わり第3位、前期リーグ戦でも優勝争いに加わり第3位と好成績。今や名実ともに、結城聡と並ぶ「関西棋院の顔」と言っていいだろう。
今村は現在、関西棋院の渉外担当理事として実に多忙な日々を送っている。各新聞社やテレビ局との打ち合わせはもちろん、各タイトル戦の地方対局や就位式があれば関西棋院代表として出席するなど、あちこちで頻繁に顔を見かけるようになった。
今村の理事就任と近年の活躍がピタリと一致していることから、この多忙さが日々の生活に張りを生み、好成績に結びついているのではないかと考える。棋士にとって手合とは、やはり最も生き甲斐を感じる時間であろうから、慌しい日常から解放されて盤の前に向うことで、かつてなかった集中力が生れるのだろう。今は亡き加藤正夫名誉王座が日本棋院の副理事長に就任し、超多忙な毎日を送りながら本因坊を獲得したのも同様の理由だろう。
【「NHK囲碁講座」(2006年3月号)】
今村俊也九段は奈良市の敬虔な宗教家の子息。13歳の時、大阪市で開かれた「子供囲碁教室」に参加。たまたま居合わせた苑田勇一九段との出会いがその後の運命を決めた。天才少年はプロ棋士としての道を歩むことになる。1980年入段。藤沢秀行の研究会に参加、同年の依田紀基とともに若手有望株として期待され「東の依田、西の今村」と称される。1993年にNHK囲碁講座講師を務める。門下に長谷川広六段。

【2005年11月28日 朝日新聞夕刊「棋士快声」(荒谷一成)】
9月の天元戦挑戦者決定戦で河野臨七段に勝っていれば、今ごろ山下敬吾天元との五番勝負の最中のはずだった。「残念ですが、あれが実力でしょう。ただ『あと一つまで迫れたのは、やり直し勉強が良かった』ともいえ、納得してます」
「やり直し」とは、新人王になり本因坊リーグに入った後の20代後半から10年間の停滞を脱すべく、3年前から始めた勉強を指す。幕末の秀策や江戸前期の碁聖・道策の師匠・道悦の碁を一日一局並べてきた。「昔の碁は決して古くない。僕なりに経験を積んで今初めてわかることがある。目が肥えて認識が深まってきたのでしょう」
もう一つは「各種の格言集に親しむこと」。といってカバンから文庫本の「ゲーテ格言集」を取り出した。「活字が詰まった本は苦手なので短いのがいい。味わいつつ考えると、思い当たることがある」。ゲーテでは「感覚は欺(あざむ)かない。判断が欺くのだ」に深く共感するという。ドイツの文豪と東洋の棋士が、時空を超えて共鳴している。
関西棋院の棋士会副会長を経て、昨春から常務理事として経営にも携わる。二足もわらじは好結果をもたらした。名人リーグには3期連続在籍だし、天元にも手が届きかけた。元院生の夫人は朗らかな冗談好き。「お笑いの吉本興業にスカウトされてもおかしくない」と評判の上方漫才風カップルである。「僕はボケ役ですが、嫁さんのツッコミにはオタオタする。笑いでは手合違いです」

【1990年9月15日 読売新聞朝刊「盤側」】
関西棋院の若手のホープと期待されている今村俊也八段が九段になった。関西棋院の現役で29人目、日本棋院を合わせて現役九段は79人になった。今村九段は24歳。入段以来10年6か月のスピード昇段だが、橋本昌二・九段の23歳、清成哲也九段の10年3か月の記録にはわずかに及ばなかった。