三村智保
みむら ともやす
Mimura Tomoyasu
1969年7月4日生れ
AB型
福岡県北九州市出身
1980年(第1回)小学生名人戦第7位。1981年(第2回)小学生名人戦第6位。1982年(第3回)中学生名人戦優勝。田岡敬一氏に師事。田岡敬一門下(森田道博、三村智保、高尾紳路)の一人。藤沢秀行名誉棋聖門下。1986年入段(17歳)。2000年9月九段。2002年通算500勝達成。2006年7月20日通算600勝(291敗3持碁)達成(史上45人目)
2009年1月1日、向井芳織初段(当時)と入籍。
棋風:手厚く打って攻める碁
揮毫:知足(足ることを知るの意)
三村智保著作集
タイトル獲得数:4個(うち世界タイトル:0個)
対局日棋戦名年齢コメント
2003年(第50期)NHK杯優勝34歳
1999年(第29期)新鋭戦優勝30歳
1995年9月(第20期)新人王戦優勝26歳
1994年10月(第19期)新人王戦優勝25歳
2001年1月1日以降国際棋戦成績=5勝5敗(対韓国:2勝2敗、対中国:2勝3敗、対他:1勝0敗)
対局日棋戦名勝敗対戦相手
2005.11.24農心杯戦元晟湊六段(韓国)
2005.11.23農心杯戦劉星七段(中国)
2004.10.13農心杯戦周鶴洋九段(中国)
2004.10.12農心杯戦韓鐘振五段(韓国)
2004.03.23CSK杯台湾戦張栩九段(台湾)
2004.03.22CSK杯韓国戦宋泰坤六段(韓国)
2004.03.21CSK杯中国戦孔傑七段(中国)
2003.09.07テレビ囲碁戦決勝戦周鶴洋九段(中国)
2003.09.05テレビ囲碁戦準決勝戦李昌鎬九段(韓国)
2003.09.04テレビ囲碁戦第1回戦彭筌六段(中国)
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写真(28歳) 写真(37歳)
【2006年12月11日 朝日新聞「棋士快声」(荒谷一成)】
始まったばかりの今期名人リーグに8期ぶり復帰。11月末の初戦は新鋭の黄翊祖七段に敗れ、ほろ苦い出だしとなった。「最初に勝つのと負けるのとでは大きな違いだけど、リーグにいる以上目標は優勝ですよね」
藤沢秀行名誉棋聖の門下だ。14歳で弟子入りした。アマの田岡敬一さんに教わった後で秀行門という経歴は、高尾紳路九段(名人本因坊)と同じだ。七段タイトルにまだ手が届かず、7歳下の弟弟子に追い越された。「高尾君と出会ったのは彼が小学3年生ぐらいのとき、僕が子供の頃と比べて強いと思ったな」
「僕は秀行先生に褒められた記憶がないんです。結城君(聡九段)らはよく褒められ、僕は才能がないのかなと劣等感にさいなまれたな。それで、すねたり横を向いたり」と笑う。一時すねたひねくれ者は28歳で秀行塾の研究会を離れ、30歳を過ぎて「自分なりにやればいい」と開眼したらしい。3年前にはNHK杯で初優勝、2年前には本因坊の挑戦者決定戦まで勝ち上がった。依田紀基九段に敗れたものの、ひのき舞台登場に後一歩と迫った。
「地をあまり意識せず、計算は苦手。着手の善悪やバランスより気合や勢いで打つ碁」というのが自己診断である。これでは頂点には立てないと、この秋から千葉県市川市の自宅に王銘宛九段らを招いてヨセの研究会を開いている。「ヨセってこんなに面白いものだったのかと、今頃気付きました」

【2003年12月10、11日 読売新聞「囲碁欄」(佐野真)】
三村智保九段は2003年3月、NHK杯戦で優勝。過去に新人王戦(2度)と新鋭トーナメント戦という若手棋戦での戴冠はあったが、一般棋戦においてはこれが初のタイトル獲得となった。この優勝によって日本代表権を得たテレビアジア選手権戦でも準優勝。さらには本因坊戦リーグの初参加も決め、十代の頃から将来を嘱望されていた大器が、ついにその持てる能力を発揮し始めた感がある。
突然のブレークに何か理由があるのかと聞いてみたところ、「気持ちにゆとりが出てきたことが大きい」という答えが返ってきた。「以前は"勝ちたい"というより"負けるのが怖い"、"失敗するのが怖い"という考え方をしていましたから…。僕は21歳の時に初めて名人戦リーグに入ったんですが、そんなに喜んでなかったんです。名人人リーグ入りが決まった瞬間に、負けることを心配しているんですよ。こんなメンバーの中に入って打ったらボロボロになるとか、みっともない姿をさらしてしまうのではとか、ずいぶん馬鹿なことを考えていたんです。しかし最近は失敗を恐れず、楽しんで打てるようになってきたということでしょう。すると結果もついてくるようになりました」。
三村にとって2003年は充実した年だった。「3月にNHK杯で優勝したことで、皆さんから声をかけてもらえるようになりました。それが僕の運を上げてくれているようです」。