大西竜平
おおにり りゅうへい
Ohnishi Ryuhei
2000年3月14日生れ

東京都狛江市出身
日本棋院所属。2015年1月1日入段。2016年6月10日二段(勝ち数=30勝昇段)。2017年8月22日三段(勝ち数=40勝昇段)。
アマ?段。2012年3月22日に市立第三小を卒業、4月から市立第二中に在籍する。2011年8月、第32回文部科学大臣杯少年少女囲碁大会(日本棋院主催、毎日新聞社など後援)の小学生の部で全国一に輝いた。家族は会社員の父由二さん(50)、母恵美さん(49)と7歳年上で大学生の姉。2015年1月1日プロ初段(日本棋院冬季棋士採用試験1位、15勝0敗)。
棋風:
渾名:
タイトル獲得数:1個(うち世界タイトル:0個)
対局日棋戦名年齢コメント
2017年4月(3期)イベロジャパン杯優勝17歳非公式戦
2016年9月(第41期)新人王戦優勝16歳16歳6か月は最年少新人王記録。
日本棋院の情報
写真(12歳) 写真(14歳) 写真(16歳)
【週刊碁 2015年2月23日号(2月16日発売)】
プロ棋士が誕生するまでには様々な出会いがあり、ステップ・アップする環境へと後押ししてくれる。大西竜平少年に手ほどきをしたのは祖父であり、両親は碁を打てない。
大西「祖父はアマ2段くらいです。そのあとは地元サークルの子供教室に通いました」
どこにでもあるプロセスでアマ2段ほどに上達した頃、大西少年に最初の転機が訪れた。緑星学園尾山台教室に通うことになったのだ。
大西「母が探してきてくれて勧めてくれたんです」
緑星学園と言えば、菊池康郎氏が主宰し山下敬吾9弾をはじめ20名あまりのプロ棋士を輩出した名門道場である。ただし尾山台教室はプロを目指すレベルを対象としたものではない。
大西「プロになるなんて僕も両親も全く考えていませんでした」
尾山台教室代表の出口雄司氏との出会いにより大西少年は知らず知らずのうちにプロへの道を進むことになる。出口さんは永く国際新鋭対抗戦の運営に携わり中国、韓国の囲碁事情に詳しく知人も多い。「中韓の少年たちは365日、毎日10時間は碁の勉強をしています」と出口さん。
大西少年は小学5年の時アマ6段の力に達していた。出口さんは大西少年に韓国への囲碁留学を勧めた。「韓国の子供たちのパワーを肌で感じてほしい。大西君ならめげずに頑張るはずと見て取れたからです」と出口さん。
韓国の名門「沖岩道場」での2年3か月の留学生活が大西少年を飛躍させた。出口さんの勧めとは言っても簡単に実現するとは思えない。
大西「突然の話でしたが、行きますと答えました。もちろん両親も驚きましたが応援してくれました」
最初の1年ほどは韓国棋士のところにホームスティしてあとの1年は道場の寮生活。2か月ごとに帰国することになっていて、その合間に少年少女大会で優勝して小学生日本一になった。沖岩道場には昨年12月に行われた若手の国際戦「利民杯」でベスト4に入った申真婿(チンソ)二段もいた。
大西「同じ年齢でこんなに強いのがいるのかと驚きました」
帰国して中学1年から院生になり、プロを目指した。昨年の夏季入段試験でチャンスが訪れたが、一歩及ばず冬季入段試験で全勝を決めた。
大西「今回入段できなければプロはあきらめることに決めていました。両親と約束していました」
大西少年に抱負を聞いた。
大西「先輩たちに一日も早く追いつくことしか考えていませんが…(少し考えて)5年後にはリーグ入りしていたいと思います」
どんな棋士になりたい
大西「強い棋士になるのはもちろんですが、若い人が碁に興味を持ってもらえるような魅力ある棋士になりたいと思います」

【2012年4月4日 毎日新聞地方版「だいあろ〜ぐ:東京彩人記」】 
◇韓国修行でプロ棋士へ−−大西竜平君(12)
旅立ちの春。それぞれの目標に向かって新たなスタートが切られる。狛江市立第二中1年、大西竜平君(12)は囲碁のプロ棋士を目指す。この2年間、韓国の囲碁道場と日本を行ったり来たりして厳しい武者修行を積んできた。大西君に囲碁漬けとも言える生活の様子や将来の夢を聞いた。
−−囲碁は何歳から始めたのですか。
小学1年の夏、お母さんに「ボランティアで月2回、囲碁を教えてくれるところがあるから行ってみたら」と言われて始めました。囲碁はそれまでやったことがなかったんですが、始めたら面白くなりました。ともかく囲碁を打つことが楽しいんです。スポーツもやります。卓球やサッカーが好きです。ゲームも好きです。
−−一人で韓国に渡って囲碁の勉強を続けてきたんですね。
日本で指導を受けてきた先生からどうせなら囲碁界では世界トップクラスの韓国で学んでは、と勧められて決心しました。小学5年の4月から1年ごとにビザを更新して2年間、ソウルの囲碁道場で勉強しました。日本に帰国したのは1年に2回ぐらい。
−−韓国ではどんな生活をしてきたんですか。外国で一人暮らしはつらくなかったのですか。帰りたくなりませんでしたか。
毎日午前9時から午後9時まで囲碁の勉強があります。1週間に4回、1時間ずつの運動の時間がありますが、土、日も関係なく囲碁を打ちます。食事の時間などを除くと1日10時間ぐらい囲碁をやりました。道場では韓国語を話し、食事も韓国のものを食べていました。辛いものもありますが、平気です。日本食は帰国した時だけ。日本の食べ物では、すしやハンバーグが好きです。体が疲れて大変なこともありましたが、囲碁を打つのが楽しいので、つらいとは思いませんでした。今度、日本に帰ってきて久しぶりに友だちと話したり、遊んだりできて楽しかったです。囲碁以外で得意なのは数学、苦手は社会、地理です。
−−自分でどんな性格だと思いますか。
よくやんちゃだといわれています。
−−将来の夢は。
韓国の棋士、朴廷桓(パクジョンファン)さん(19)に憧れています。世界で戦える棋士になるのが夢です。
−−今後の予定は?
韓国に戻ってビザの期限の7月28日まで滞在する予定です。プロ棋士になるにはプロテストを受験するか、日本棋院の院生になるか二つの方法があります。どちらになるか分かりませんが、ともかく夏まで韓国で頑張ります。<聞き手/社会部・森下功記者>

■人物略歴
◇おおにし・りゅうへい
2000年、狛江市生まれ。3月22日に市立第三小を卒業、4月から市立第二中に在籍する。昨年8月、第32回文部科学大臣杯少年少女囲碁大会(日本棋院主催、毎日新聞社など後援)の小学生の部で全国一に輝いた。家族は会社員の父由二さん(50)、母恵美さん(49)と7歳年上で大学生の姉。

◇記者の一言
小学校の卒業式出席のため一時帰国した機会に取材した。4月上旬には韓国にトンボ返りし、囲碁漬けの生活に戻る。年少の身で親元を離れ、異国での武者修行はさぞや厳しく寂しいだろうと推測するが、悲壮感は感じられない。孤独感より好きなことに打ち込む充実感が勝っているのだろう。留学希望者が減少するなど大学生の内向き志向が指摘されている昨今なので、その存在が際立つ。身長135センチ、体重26.5キロと小柄だが、体には大きな夢が詰まっている。憧れの人である朴廷桓さんは17歳11カ月と九段昇段最年少記録を持つ実力棋士。大西君の目標にぴったりだ。

【2011年11月23日 韓国・サイバーオロ(文:チョンヨンジン) 】
国際新鋭囲碁対抗戦の期間中、出場選手たちより熱い場外競技が繰り広げられて注目された。検討室の片隅で毎日行われた練習対局の主人公は我が国でいえば初等5年生のリュウヘイ(11才)とミムラ・健太(12才)です。リュウヘイ(大西竜平)は1年6ヶ月前に許壮会(ホチャンフェ)道場に留学して来た日本の天才囲碁少年で、ミムラ・健太は日本棋院研究生B組に属するプロ棋士志望生です。健太少年は三村智保(ミムラ トモヤス)九段の息子です。許壮会(ホチャンフェ)道場の兄たちが大挙して参加する今回の大会に同行したリュウヘイと場外対決を行うために健太も日本選手団についてきたといいます。

リュウヘイは小学校1年生程度にしか見えない小さい体格だが目つきは鋭い。私が金浦(キンポ)で済州(チェジュ)行き飛行機に乗った時、私の座席の窓側にこの子供が座っていた。「ママ パパは?どうして子供一人でのってるの? ご両親は座っておられるの?」と尋ねるとここにはいないとのこと。後席に道場の兄たちが言うには「日本子供」だそうだ。飛行機が離陸する時ジャンパーをかぶっても足りなくて両手で耳をふさぐ仕草が可愛く感じられた。自然に私が安全ベルトをしてやって今や保護者気取りで飛行しました。日本に住むご両親は囲碁を全く分からない方といいます。本来は1年の予定で韓国にきたがさらに延長することにしたそうです。今年大韓生命杯子供囲碁大会有段者部で優勝し、今週土曜日に韓国棋院研究生選抜戦に出場しているそうです。研究生4グループリーグで3勝7敗で脱落したといいますから以前のままの研究生システムであれば10級ぐらいの実力になります。初めの1年間は許壮会(ホチャンフェ)道場の指導模範の洪章植(ホン・チャンシク)七段の家で起居したがこの時、ホン七段のおじいさんおばあさんから内孫のように育てられたそうです。おばあさんが韓国の文字と言葉を教えてくれ、高段者のおじいさんは囲碁と卓球を教えてくれたといいます。このおかげで韓国生活2年もならない子供が韓国語をわだかまりなしに駆使します。

リュウヘイを‘韓鐘振の息子’と呼ぶ人が多い。 韓鐘振(ハンジョンジン)九段が実の息子のように愛情を持って教えているためです。“2年後には日本棋院に入段すると思います。日本タイトル保有者になることと期待しています。スポンジのようになんでも吸収するので教える面白味とやりがいを感じさせる子供です。まだ弱いが追い越す速度がものすごいです。囲碁は趙漢乗(チョ・ハンスン)のようなスタイルですが終盤が強いです。この子供を見守って下さい。”

リュウヘイと健太は互角の実力です。子供の勝負欲と神経戦は尋常ではありません。この速度で成長するならば二人の子供は遠からず日本棋戦でライバルとして会うでしょう。ほっそりしているリュウヘイば薫鉉(チョ・フンヒョン)九段のようにちょこちょこと会場を見回したりします。ぽっちゃりとして黙々としている健太は趙治勲九段を連想させます。昔韓国の天才が日本に渡っていって留学した時期がありました。リュウヘイと健太の対局を見ていると、今は日本から韓国に渡ってきた日本版゙薫鉉(チョ・フンヒョン)と趙治勲がオーバーラップします。

【2011年8月6日 毎日新聞地方版(森下功)】
第32回文部科学大臣杯少年少女囲碁大会(日本棋院主催、毎日新聞社など後援)の小学生の部で全国一に輝いた狛江市立第三小学校6年、大西竜平君(11)が8月5日、矢野裕市長に面会し、優勝を報告した。2、3の両日に千代田区の日本棋院で開催された全国大会小学生の部には101人が参加。大西君は予選リーグを突破、16人で戦う決勝トーナメントを勝ち進み「小学生名人」の栄冠を手に入れた。矢野市長に健闘をたたえられた大西君は「これまでもらった中で最高の賞です。韓国の道場で囲碁を学んでいますが、ぼくより強い人がたくさんいるのでもっと強くなりたい」と話した。