常石隆志
つねいし たかし
Tsuneishi Takashi
1991年5月14日生れ

神奈川県出身
アマ?段。元日本棋院院生。2009年アマ名人。18歳での優勝は最年少タイ記録。2010年アマ名人防衛。2011年4月1日初段。2012年11月18日二段(勝ち数=30勝昇段)。2016年2月5日三段(勝ち数=40勝昇段)。
棋風:
渾名:
2013年12月31日現在通算成績=45勝26敗
2014年23歳??勝??敗通算??勝??敗
2013年22歳13勝9敗通算45勝26敗
2012年21歳25勝12敗通算32勝17敗2012年11月18日二段(勝ち数=30勝昇段)。
2011年20歳7勝5敗通算7勝5敗2011年4月1日入段。
日本棋院の情報 写真
【2010年11月16日(火)12時45分配信 神奈川カナロコ】
囲碁プロ棋士を決める日本棋院の2010年冬季棋士採用試験(リーグ戦)で、三浦市在住の常石隆志さん(19)が、11月14日までのリーグ戦成績を13勝1敗とし、来春からのプロ入りを確実にした。プロ試験は16人の総当たりで争われ、2位までがプロになる。ほかの15人は4敗以上しているため、最終戦を待たずに念願がかなった。11月30日の日本棋院常務理事会などを経て正式に決定する。県内からは昨年の沼舘沙輝哉初段=川崎市多摩区=に続くプロ誕生となる。
常石さんは日本棋院準棋士・小林孝之三段の門下。13歳のころ、師匠の勧めで日本棋院の「院生」になり、プロ試験は通算5度目の挑戦。年齢制限のため、一昨年の11月で院生を辞め、昨年とことしは一般のアマチュアが出場する「外来予選」を勝ち抜いて本戦に進んでいた。昨年、一躍アマ囲碁界に名をとどろかせた。史上最年少の18歳でアマ名人位を奪取。2010年7月に初防衛を果たした。4月からは韓国に2カ月ほど修業に出掛けるなど、研究に努めてきた。
小学生時代に碁の手ほどきをし、今も親身になって見守る中山弘さん(74)は「浮かれることなく精進し、大きく成長してほしい」と喜びを語った。常石さんは「長い道のりだった。今はほっとしています。当面は年間30勝挙げることを目標にし、将来は世界戦に出場したい。井山裕太名人のようなプロになりたい」と目を輝かせて喜びを語った。

【2010年8月6日 三浦タウンニュース】
人並み外れた大局観は、まさに天賦の才。2009年、初出場で初優勝を飾った朝日アマチュア囲碁名人戦。18歳での優勝は最年少タイ記録だった。歴史的勝利から1年。2010年トップアマとして挑戦者を敗り、見事防衛にアマ名人位の防衛に成功した。今月には、アマ2大タイトルのもう一つ「本因坊戦」(毎日新聞社主催)が控えている。2冠は手の届くところにある。そして、その先に待っているのはプロの世界だ。
地元では決して囲碁が盛んという訳ではない。家庭にも囲碁の文化は無かったという。「夏になれば虫取りをしたり、海で泳いだり、よく家の外で遊んでいました」と振り返り、やんちゃな少年時代を過ごしていた。囲碁との出会いは小学5年のとき。一躍ブームを巻き起こしたアニメ『ヒカルの碁』の影響を受けた。始めたきっかけは、同世代の少年少女らと同じ。小学生プロが誕生する中、スタートはむしろ遅い方だ。家族からは「どうせアニメが終われば辞めるんだろう」と思われていたそう。寝食を忘れるほど囲碁に没頭し、タイトルを獲得するとは、この時誰も予想していなかった。
だが、地元の囲碁教室で、その才能を一気に開花させた。全体を見渡せる構想力とケタ外れの集中力で周囲を圧倒し、驚異的な成長を見せた。中学1年になると、早くも先を見据え、プロ棋士を養成する日本棋院の院生となった。中学卒業後は、高校には進学せず、囲碁一色の生活。年齢制限のため17歳で院生は辞めたが、その後見事アマチュアの頂点に立った。
話しぶりは穏やかで冷静だが、ひとたび碁盤の前に腰を据えると、真剣な表情を見せる。本因坊戦を終えると、9月からはプロ試験が待っている。わずか8年ほどの囲碁人生だが、今年は大きく躍進する年になりそう。将来は「世界で戦えるプロになりたいです」。囲碁の若武者は、最後に熱い眼差しで抱負を語った。