鈴木為次郎
すずき ためじろう
Suzuki Tamejiro
1883年5月24日生れ

愛知県刈谷市出身
1907年飛付三段。1922年、方円社の雁金準一、瀬越憲作、坊門の高部道平とともに裨聖会設立。1923年、鈴木が顧問をしていた少壮棋士の研究会「六華会」所属の女流棋士田岡秀子二段と結婚。1924年の碁界大合同により日本棋院に参加するが、同年雁金準一、高部道平、加藤信、小野田千代太郎と棋正社を設立するが、1926年には日本棋院に復帰。1926年七段。1957年名誉九段。1960年11月20日死亡。
瀬越憲作とは終生の好敵手。
棋風:読みが深く粘り強い棋風で、長考派として知られる。「旭将軍」の異名がある。
揮毫:

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