長谷川章
はせがわ あきら
Hasegawa Akira

1900年1月6日生れ

東京都出身
大正3年長野敬次郎に入門。1917年初段。昭和8年日本棋院大手合に優勝し五段。1944年七段。1959年首相杯戦優勝。1965年引退し、名誉八段。戦後の混乱期に理事として日本棋院再建に尽力した。1958年台湾訪問。1973年大倉賞、勲四等旭日小綬賞授賞。1975年日本棋院理事長となり、名人戦契約問題を収拾した。1978年辞任し顧問となる。昭和62年8月13日死去。87歳。
棋風:
揮毫:
1959年(第3期)首相杯争奪戦優勝(59歳)
【1987年8月14日 読売新聞東京夕刊】
長谷川章氏(はせがわ・あきら=囲碁名誉八段、日本棋院顧問、元日本棋院理事長)は8月13日午後8時18分、胆管ガンのため、千葉県浦安市の順天堂浦安病院で死去。87歳。葬儀・告別式は日本棋院、長谷川家の合同葬として17日午後1時から東京都文京区関口3の16の15の東京カテドラル聖マリア大聖堂で。葬儀委員長は色部義明日本棋院理事長。自宅は千葉県船橋市本中山4の4西船橋ハイム2の815。喪主は妻、佳子(よしこ)さん。大手合優勝2回、第3期首相杯争奪戦優勝、第6期囲碁選手権戦で高松宮賞受賞、昭和48年大倉賞、勲四等旭日小綬章受章。