黄翊祖
こう いそ
Ko Iso

1987年4月10日生れ

台湾出身
鄭銘皇九段門下。2002年4月入段(東京枠)。2002年9月27日二段。2003年5月9日三段。2005年4月1日四段(賞金ランクで昇段)。2005年10月28日七段(名人戦リーグ入りで昇段)。2011年4月1日八段(勝ち数=150勝昇段)。
2012年12月31日現在通算成績=275勝144敗
2013年26歳??勝??敗通算???勝??敗
2012年25歳18勝18敗通算275勝144敗
2011年24歳25勝9敗通算257勝126敗2011年4月1日八段(勝ち数=150勝昇段)
2010年23歳19勝12敗通算232勝117敗
2009年22歳21勝16敗通算213勝105敗通算200勝達成。
2008年21歳36勝19敗通算192勝89敗
2007年20歳39勝16敗通算156勝70敗
2006年19歳34勝18敗通算117勝54敗通算100勝達成。
2005年18歳21勝13敗通算83勝36敗2005年4月1日四段(賞金ランクで昇段)。
2005年10月28日七段(名人戦リーグ入りで昇段)。
2004年17歳26勝 8敗通算62勝23敗
2003年16歳17勝12敗通算36勝15敗2003年5月9日三段。
2002年15歳19勝 3敗
2002年4月入段(東京枠)。2002年9月27日二段。
棋風:実利先行を基調とするシノギの碁。
揮毫:
タイトル獲得数:0個(うち世界タイトル:0個)
対局日棋戦名年齢コメント
2007年8月(第12回)三星火災杯国際予選突破20歳
2006年4月(第11回)LG杯国際予選突破19歳
2005年10月(第31期)名人戦リーグ入り18歳18歳6カ月でのリーグ入りは最年少記録
2001年1月1日以降国際棋戦成績=0勝2敗(対韓国:0勝1敗、対中国:0勝0敗、対他:0勝1敗)
対局日棋戦名勝敗対戦相手
2007.09.04第12回三星火災杯第1回戦李昌鎬九段(韓国)
2006.05.15LG杯第1回戦周俊勲九段(台湾)
日本棋院の情報 写真(18歳)
【2005年11月14日 朝日新聞「棋士快声」(荒谷一成)】
10月末、18歳6ヶ月で次期名人戦リーグ入りを決めた。依田紀基九段(碁聖)が持っていた同リーグ入りの最年少記録を2ヶ月縮めた俊英である。「初リーグ入りは、プロになった時と同じくらい嬉しい。着実に力をつけてチャンスを増やし、いつかは世界戦で優勝したいです、一回ぐらいは」。どでかい目標をさりげなく言ってのけるあたり、並みの新鋭ではない。
台北に生れて6歳で囲碁を習い始め、11歳の時に大人も参加する囲碁全国大会で優勝。12歳でプロを目指して来日し、修業3年でプロ入りした。同期入段のライバルが井山裕太七段(16)である。4ヶ月前、新人王戦の準決勝で井山に敗れた。「僕は地に辛い実利派です。自分の棋風を確立しなければ天下を取れない、とわかっています。棋風を作るのはこれからです」
1日8時間みっちり碁石を並べるタイプではない。「1時間集中すると頭が疲れてしまう。くつろいでまたという具合です。グッドアイデアがひらめくにはリラックスが必要。どうすればよく眠れるのかに一番関心があります」
身長180センチ。「ミスター・チルドレン」などJポップスのCDを楽しみ、将棋の羽生善治四冠や谷川浩司九段の勝負の機微に触れた本を愛読する。法政大学留学生の姉と2人暮し。台湾には原則1年10ヶ月の兵役がある。囲碁に打ち込みたいのでプロ入り後の4年間、海を渡って帰ったことはない。今後もそのつもりだ。

【2005年6月17日 毎日新聞「この一手」(石井妙子)】
黄翊祖四段はプロになって今年で3年目。しかしながら本因坊戦最終予選に勝ち上がるほどの実力をすでにつけている注目株だ。
黄四段の母国は台湾。父と姉とともに6歳で囲碁教室へ通ってルールを覚え、黄翊祖少年だけが、ぐんぐんと力を付けた。「父は昔から碁を覚えたかったらしんいんです。でも、覚えるきっかけが持てなかったそうです。でも、碁を知らないうちから、棋士にはとても憧れていたようで、できれば子供を棋士にしたいという希望を持っていたらしくて…」。その点、黄翊祖少年はお父さんの抱いた期待に背かぬ成長ぶりを見せた。
「日本で棋士になって林海峰先生のように活躍してほしい」。そんな父親の期待を背負い黄翊祖少年は11歳で来日する。台湾で私淑していた囲碁教室の先生を通じて鄭銘皇九段門下になり、院生に。同じ囲碁教室の出身である潘善h七段、潘坤ト初段兄妹のもとに同居して勉強し、3年後の2002年に入段を果す。院生時代は緑星学園にも通って勉強していたという。
入段同期には、大橋拓文三段、三谷哲也三段、潘坤ト初段、向井梢恵初段、それに多さかの井山裕太四段らがいる。井山四段は黄翊祖四段より2歳年少。黄翊祖四段の14歳入段も十分に早い。しかし、当時は12歳で入段を決めた井山四段にすっかり話題をさらわれてしまった。そうでなくても同期というのは何かと気になるもの。しかも実力が拮抗していればなおさらだ。やはり、井山四段の存在は気になるという。「前は井山君には負けたくないなって、やっぱりそう思っていました。今は意識する人がもっと増えましたけれど、井山君に限らず、ともかく年下の人には負けたくないです」と負けん気の強さも覗かせる。
第61期本因坊戦予選Aで小林光一九段と対局し白番半目勝ちを収めた。「光一先生に勝てるなんて思ってもいませんでした。嬉しかったです。トップ棋士に勝てるなんて」。そう語った上で、「でも時々(強い棋士に)勝てるのは運。実力じゃない」とも。憧れの棋士は、「張栩本因坊」。穏やかな口調、礼儀正しい挙措の中に勝負師らしい芯の強さと負けん気を感じさせる。

【「囲碁講座」(2004年12月号)】
プロ3年目の17歳。今年、低段者の部で勝ち星トップを走る期待のホープだ。180センチの長身にまだ少年の面影が残る。プロ2年目の昨年、棋聖戦予選で大活躍。あと2つ勝てばリーグ入りというところまで勝ち進んだ。「日本語上手ですね」と話し掛けると「もう日本に来て6年目ですから。でもやっぱりまだ下手です」とはにかむ。

6歳の時、お父さんと将棋を指すようになると勝つまで指し続けた。「勝負強い」じゃなくて「負けず嫌い」だったので、碁も習わせて見ようと思ったみたいです。「別に勝てなくてもいいんだけど、負けるのはあまり好きじゃない(笑)」。それから子供教室に通い始めた。詰碁を出されると負けず嫌いなので解けるまで問題に取り組み続けたようだ。

間もなく「覚えてまもないうちに強くなり」日本でのプロ入りを決める。来日してしばらくは知らない国だから不安だった。鄭銘皇九段門下になり、潘善h六段と1年半暮しながらプロ修行に励む日々が始まる。中学校には行かなかった。「当時はプロになったらあまり関係がないんじゃないかと考えたので」
 
来日3年目に14歳でプロ入り。プロ試験の本戦で「5敗したときは諦めた」がその後11連勝した。現在は日本に留学中のお姉さんと一緒に暮している。昨年までは緑星学園に通っていたが、今年から林海峰九段、王立誠九段、柳時熏九段の研究会にそれぞれ月に2回通うようになり、生活を一新した。「若手同士の研究会も作ったんです」と目を輝かせる。大橋拓文三段、三谷哲也三段、安斎伸彰初段が若手研究会の仲間。互いの活躍が刺激になり、良きライバルでもある。