井澤秋乃
いざわ あきの
Izawa Akino

1978年10月31日生れ

奈良県出身 左利き
1990年全国少年少女囲碁大会6位入賞(小学6年生)。1998年入段、1998年二段、2001年三段。2007年6月8日四段(勝ち数=50勝昇段)。
2011年12月5日高梨聖健八段と結婚。同時に大阪総本部から東京本院へ転籍した。
棋風:
揮毫:
2007年9月(第6期)関西女流トーナメント戦優勝(28歳)
日本棋院の情報 囲碁ステーション 写真
【2004年12月10日 毎日新聞「この一手」(石井妙子)】
井沢秋乃三段の所属は大阪の日本棋院関西総本部だ。1978年生まれの26歳。出身は奈良県で実家が碁会所という恵まれた環境に育った。経営者は、早稲田大囲碁部出身でアマチュア強豪として知られる実父。6歳で父が主宰する子ども囲碁教室に通って囲碁に触れた。「同じ年ごろの子がたくさんいて楽しかったんです。父にマン・ツー・マンで教えられていたら、どうだったでしょうね」と笑う。碁の強い親が自分の子どもを教えると、つい熱が入りすぎて失敗してしまうケースが多い。碁会所を経営し、子ども教室も開いていた井沢さんのお父さんは、さすがにそのあたりをよくわかっていたのかもしれない。

仲間の子どもたちとともにグングンと井沢さんの棋力は伸びていった。だが、当初は棋士を目指す気持ちは希薄だったという。それが変わったのは高校生になってから。アマ大会で好成績を取るようになり、囲碁に真剣に取り組んでみたいと考えるようになった。夏の高校選手権出場を最後に院生に。15歳だった。

小さいころから、父をはじめとしてアマチュアのトップクラスを見知ってきた井沢さんだが、はじめてプロの世界に院生として足を踏み入れ愕然(がくぜん)としたという。「あまりに違ったんです。プロの碁とアマの碁は、なんというか質がまったく違うんですね。私はそれまでプロの世界をまったく知らなかった。アマチュアの世界では、上のほうを見る機会もあったんですが……。だからこそ、その差に驚かされました。自分は思ったより、少しも強くないということにも気づかされて」

自分はプロにはなれないかもしれない。そう思って落ち込むことも多かったという。しかし、1998年、「最後のチャンス」と心に決めた年に無事、関西地区1位という堂々の成績で入段を果たした。それから6年。井沢さんは確実に実力をつけてきた。女流タイトルにもあと一歩というところに迫っている。2002年には女流棋聖戦挑戦者決定戦に出場して加藤啓子四段に敗れ、今年も再び女流本因坊戦挑戦者決定戦に出場したが知念かおり三段に負かされた。「加藤さんとの碁ではカチカチに緊張してしまい不出来でした。けれど今回の女流本因坊戦は実力を出し切って負けた感じです。挑戦者になれなかったのは残念でしたが、まず実力を上げなければと思いました」

最近、日本棋院本院で関西在住の若手棋士をよく見かけるようになった。対局もあるが勉強のため観戦に来ている人が多い。地元でも若手を中心に熱心な研究会が開かれ、井沢三段も常連だという。今年は、羽根直樹棋聖の誕生で名古屋に注目が集まったが、来年は大阪からも眼が離せなくなるかもしれない。関西女流碁界の牽引(けんいん)力としての期待が井沢三段にもかかっている。

【「週刊碁」2003年9月8日号より】
6歳の時、お父さんが経営する碁会所で碁を覚えた。アマ十傑戦で奈良県第3位に入り、高校1年で高校選手権に出場した時はすでにプロ入りを意識していたという。まもなく院生になり、1998年に入段。1998年17勝、1999年21勝、2000年20勝、2001年24勝、2002年23勝、2003年12勝(8月31日現在)。可愛い顔に似合わず、碁は剛腕。サウスポー。