武宮陽光
たけみや ようこう
Takemiya Yoko

1977年4月29日生れ

東京都出身
梶和為九段に師事、武宮正樹門下。1998年4月入段。2001年四段。2005年9月五段(勝ち数=70勝昇段)。2016年2月16日六段(勝ち数=90勝昇段)。
武宮正樹九段は実父。
棋風:
揮毫:

日本棋院の情報
【「囲碁講座」(2004年11月号)「私の師匠」より」】
僕は5歳くらいの時、家にある碁の本を並べているうちに碁を覚えました。1ページに1〜3手ずつ進むもので、数字が読めたので並べられました。しっかりとした手ほどきは、おじいちゃん(故・梶和為九段:母方祖父)からです。最初に「僕は何級くらい?」と聞くと「25級」といわれました。級は数が多いと弱いというのを後で知って、軽いショックを受けました。

小学校1年生の時には木谷会(現・仁風会)に行って、5、6級で打てるほどになっていました。家ではおじいちゃんと星目の手合でした。週に何日も、打つのも早いので1日に何局もひたすら打っていました。大抵おじいちゃんから「打とう」といわれましたが、自分は打ちたくなかった。しかし負けるのが嫌いで、断れないこともあり、打っていました。

11歳、小学校5年生で父に「やってみる?入ってみたら」といわれ、院生になりました。どうしてもプロになれという感じではありませんでした。でも僕はプロになる以外考えもしませんでした。父親には院生で打った碁は見てもらっていましたが、打ってもらうことはほとんどありませんでした。父親とは定先ではまるで勝てませんでした。あるとき父親は世界アマ選手権で3位入賞したこともあるオランダのシュレンバーさんから「子供に碁を教えるのは親の義務、教えなさい」と言われたそうです。それからすぐ毎日僕が学校に行く前、朝5時に起きて父と20秒碁を1、2局打つ生活になりました。打っていくうちに定先で勝つこともあるようになり、たまに白も持たせてもらうこともありました。

入段する直前、いつしかおじいちゃんには互先で勝つようになっていました。院生になった時おじいちゃんに「僕が黒を持つようになれば、入段できるよ」といわれましたが、ほんとうにそうなったんだなあと思いました。入段試験でたしか4勝4敗と絶不調になったことがあります。手が伸びなくなって、ホント情けない碁になってしまって。そのとき父に一喝されました。それから僕は息を吹き返して10連勝してプロになることができました。