坂井秀至
さかい ひでゆき
Sakai Hideyuki
1973年4月23日生れ

兵庫県出身
関西棋院所属。佐藤直男門下。1985年(第6回)小学生名人戦優勝。2001年9月飛付五段(28歳)。2003年6月9日六段。2004年1月1日七段(名人戦リーグ入りで昇段)。2007年4月22日結婚(7歳年下の女医さん)。2010年8月28日八段(碁聖獲得)。
2012年12月31日現在通算成績=380勝175敗
2013年40歳??勝??敗通算???勝??敗
2012年39歳24勝14敗通算380勝175敗
2011年38歳18勝24敗通算356勝161敗
2010年37歳33勝19敗通算338勝137敗2010年8月28日八段(碁聖獲得)。
2009年36歳35勝14敗通算305勝118敗
2008年35歳31勝19敗通算270勝104敗
2007年34歳32勝20敗通算239勝85敗
2006年33歳43勝15敗通算207勝65敗
2005年32歳34勝18敗通算164勝50敗
2004年31歳48勝13敗通算130勝32敗2004年1月1日七段(名人戦リーグ入りで昇段)。
2003年30歳41勝11敗通算82勝19敗2003年6月9日六段。
2002年29歳36勝 8敗通算41勝 8敗
2001年28歳 5勝 0敗
2001年9月飛付五段(28歳)。
棋風:地に辛く、形を気にしない。地を稼いで逃げる先行逃げ切り型。
揮毫:
タイトル獲得数:5個(うち世界タイトル:0個)
対局日棋戦名年齢コメント
2016年10月(第12期)産経プロアマ戦優勝43歳非公式戦。関西棋院公式戦。
2013年9月(57期)関西棋院第一位戦優勝40歳3連覇
2012年10月(56期)関西棋院第一位戦優勝39歳
2011年11月(55期)関西棋院第一位戦優勝38歳
2010年8月(第35期)碁聖37歳
2003年11月(47期)関西棋院第一位戦優勝30歳初タイトル
2001年1月1日以降国際棋戦成績=1勝1敗(対韓国:0勝1敗、対中国:0勝0敗、対他:1勝0敗)
対局日棋戦名勝敗対戦相手
2004.08.23トヨタデンソー杯第2回戦崔哲瀚八段(韓国)
2004.08.21トヨタデンソー杯第1回戦A・ディナースタイン初段(欧州)
関西棋院の情報 読売新聞「岡目八目」 日本経済新聞e-碁サロン
写真(31歳) 写真(37歳)
【2010年8月28日 神戸新聞「ひと」】
碁聖戦5連覇を目指す張栩碁聖を3勝2敗で破り、初タイトルを手にした。関西棋院の棋士が七大タイトルを獲得するのは故橋本昌二・九段以来、29年ぶりの快挙でもある。「無我夢中でやりました。今は何も考えられません。よかった」。喜びの声が震えていた。
京大医学部を卒業し、医師国家試験に合格した直後の28歳でプロになった。学生時代、日本アマ最強戦を制覇し、世界アマ囲碁選手権で優勝するなど数々の実績を積んでいた。「このまま全力を出し切らないで囲碁人生を終わるのは悔いが残る」という思いからの決断だった。プロ入りから9年。新人王戦準優勝や名人戦リーグ入りなど着実に実力を付けてきた。そして今回、大学卒業後にプロ入りした棋士では初の七大タイトル獲得という記録も作った。棋風は実利派。計算力と読みに優れ「どんな展開にも対応できる柔軟性ある碁」を目標としている。第2局は劣勢だったが「相手に決め手を与えないように打ち進めた」結果、見事に逆転した。終盤の粘り強さが際立っている。
毎日、5キロのジョギングを欠かさない。「心・技・体がそろわないといい碁は打てない」から体力を付けるためだ。研究熱心。酒席でも棋譜を取り出し「ここはこっちに打った方がよかったのでは」などと隣に座った棋士と検討しだす。心・技は充実している。医師の妻と長男の3人暮らし。三田市在住。37歳。

【2010年8月27日 産経新聞「人」(伊藤洋一)】
2つある囲碁のプロ組織のうち、関西棋院所属棋士が七大タイトルを獲得したのは実に29年ぶり。故橋本昌二九段が王座を奪って以来の快挙は、国内最強の張栩(ちょうう)四冠を倒してのものだから価値がある。「研究会仲間や支えてくれた家族、ファンに感謝したい。何年ぶり、というプレッシャーは感じずに対局することができました」
開業医の父の影響もあり、京都大学医学部を卒業した平成13年、京大付属病院の医師になることが決まっていた。しかし、アマ四段の父に7歳で教えてもらった囲碁への情熱も捨て切れず、「血がわき立つようなギリギリの勝負がしたい」とプロ入りを申請したのが28歳のとき。大半が10代で入段する囲碁界の定石を覆す“一手”だったが、関西棋院はアマ時代の実績を認め許可。五段と七段棋士と2局ずつ戦う試験碁に4連勝し、飛び付け五段でのデビューとなった。
プロ入り後はその力を発揮。9人で競う名人戦リーグに6期連続在籍するなど、NHK杯連覇の結城聡九段とならぶ看板だ。強いがゆえに対局日程もハードだが、時間をみつけてのジョギングと温泉通いで体調管理を怠らないところは、医師免許を持つこの人らしい。創立60周年を迎えた同院は9月4日に記念式典を開く。「タイトルを持ってこい」が口癖の塩川正十郎理事長も出席する宴は、医師を捨てた棋士の祝勝会になりそうだ。
さかい・ひでゆき 昭和48年生まれ。37歳。師匠は故佐藤直男九段。小学6年で少年少女大会優勝、灘中時代に同大会3連覇。京大時代の平成12年に世界アマチュア選手権優勝。13年プロ入り。タイトル獲得で8月28日付で八段。

【「囲碁講座」2005年9月号(大橋俊雄)】
碁は医師のお父さんに教わった。京都大学医学部を卒業。医師免許を取得して後、碁界に転じた変り種。8歳の頃から兵庫県西宮市で「子供囲碁教室」を開いていた佐藤直男九段のもとに通った。一つ年上の結城聡(現九段)少年がいた。2人は兄弟弟子である。
2001年3月、京大医学部を卒業。医師国家試験に合格、2001年6月から京大付属病院の研修医として医師への道を進むはずだったが、「囲碁に専念したい」とプロ棋士への転身を決めた。世界アマ囲碁選手権の覇者で、日本アマ最強戦で六連覇したアマ最高峰の実力者だった。2001年9月、関西棋院の試験碁で4戦全勝し飛付五段で入段。

【2001年8月25日 毎日新聞「ひと」(有本忠浩)】
今春、京都大医学部を卒業し、6月には関西棋院のプロになった。段位を決める試験碁で4戦全勝し、いきなり五段だ。1996年のアマ本因坊、2000年は世界アマチュア囲碁選手権戦を制した実力派である。これまで関西棋院のプロ資格の条件は、養成機関に籍を置き、20歳までに初段を取ることだったが、破格の実力が認められた。
棋譜を師の一人、藤沢秀行名誉棋聖(76)にファクス送りして指導を仰いだ。手堅い棋風。「並の九段より強い。タイトル戦も夢じゃない」と師も太鼓判を押す。京都の自宅マンションに、「磊磊(らいらい)」と師が手書きしてくれた書を掲げる。「大きく、ゆったり」といった意味だ。
産婦人科を開業する父の影響で、7歳で囲碁を覚えた。小学3年から佐藤直男(すなお)九段(77)の教室に通い、頭角を現した。「佐藤先生に力を引き出していただき、藤沢先生に腕を鍛えてもらいました」。この春、産婦人科の研修医として京大医学部付属病院に勤務が決まったが、医師の道を自ら断ち切った。「血がわき立つようなギリギリの勝負がしたい。このままでは悔いが残る」。
学生相撲からプロ入りしスピード昇進した大関・雅山に自らを重ねる。毎夜ジョギングを欠かさない。知力、精神力に加え、1局打てば2キロやせる体力勝負の世界でもある。「当分は修行僧のつもりで」。早ければ、9月中にプロ第1戦が見られる。