大森泰志
おおもり やすし
Omori Yasushi

1968年4月14日生れ

神奈川県出身
加藤正夫門下。1986年4月1日入段。2001年八段。2001年通算300勝達成。
棋風:
揮毫:

日本棋院の情報
【「囲碁講座」2005年10月号(島田広美)】
小学生のときはガキ大将で、毎日泥んこになって野球をやっていた。そんな活発な少年が囲碁と出会ったのは小学生3年生のころ。母親が集中力の生かせる習い事として囲碁をやらせたいと思い、友達の父親に頼んでくれた。「碁を教えてあげる」と友達の父親は会社の帰りに誘いに来てくれるのだが、「せっかく野球をやっているのに面倒くさいなあと思いました」。
それでも何回か教えてもらっているうちに基本的なことができるようになり、親に碁会所へ連れて行かれた。その碁会所で鈴木伊佐男七段や小山栄美女流名人と出会う。「栄美ちゃんはすでに有段者で、雲の上の人でした。鈴木くんは僕より少し強く、常に目標でした」。同じ世代の友達ができると「もっと碁会所に行く日を増やして欲しい」と言い出すほど、熱心に取り組むようになった。
5年生のころ、サッカーと囲碁を1日おきにやっていたが、碁会所の先生に「どちらかにしなさい」といわれ、碁を選ぶ。「碁が好きでした。それと負けたくない仲間がいたからだと思います」。プロになりたいと思うようになったのもこの頃だ。「もし自分一人だったら碁を選んでも、プロになりたいと真剣に考えたかどうかかわりません。仲間たちに感謝ですね」。
碁会所の先生が加藤正夫九段にお願いして、鈴木七段、小山女流名人とともに加藤正夫名誉王座に弟子入りすることになった。「加藤先生の門下生にさせていただいて本当に良かったです。弟子は誰もが師匠のことをそう思うのかもしれませんが、僕はついていたと思います」。
中学生になると学校の勉強はドンドン難しくなり、自分には碁しかないと思うようになった。2年生の頃、高校に行かないと決心する。碁を打たない父親は心配して加藤九段に相談にいった。「高校に通うとプロになるのが3年遅れます」との加藤九段の言葉に父親は納得したが、「2年やってダメなら定時制の高校に通うこと」と条件が付けられた。
それから毎日、加藤九段の家に通わせて頂き、棋譜を並べたり、詰碁を解いたり、碁の勉強に明け暮れた。約束の2年目、17歳で入段を決める。「加藤先生は『殺し屋』という棋風で有名です。僕は周りから『平和流』といわれます」。ニコニコして話す素振りは加藤九段にそっくり。アマチュアへの情熱も加藤九段から引き継いでいるに違いない。「目標は子供たちを強くすることです」という。