陳嘉鋭
ちん かえい
Chin Kaei
1954年8月23日生れ

中国広東省出身
1987年3月飛付五段。1996年九段。
棋風:
揮毫:

関西棋院の情報
【2007年12月 朝日新聞「棋士快声」】
11月にあった第33期名人戦挑戦者決定リーグ戦の最終予選決勝で勝ち、53歳2ヶ月で初の名人戦リーグ入りを決めた。参加9人中では最年長だ。「年のせいかは分かりませんが、この十数年、いい成績が出せなかったのでうれしいです」。1991年に本因坊戦リーグ入り。「これで一流棋士の仲間入りだと興奮していた」。しかし、気合が空回りして2期で陥落した後は目立った結果を残せずにいた。今年になって再飛躍のチャンスをつかんだ一番の理由は、長女の存在という。国立大の医学部を目指して受験勉強中で、「親の私もレベルアップしないといけないなと、やる気が出ました」。
経歴は異例だ。中国・広東省出身。12歳で入段したが、すぐに文化大革命が始まり、碁は「古い文化」として駆逐された。18歳まで政治運動に巻き込まれ、「一番大事な時期に碁に打ち込めなかった」。文革後、碁が復活し、中国代表に選ばれたが、29歳で香港へ移住。3年ほど新聞社でスポーツ記者をしていた。それでも碁への情熱は失わなかった。1986年、香港代表として出た世界アマ選手権で優勝。翌1987年に来日し、飛び付け五段で関西棋院の棋士になった。「碁一筋ではないのが私の弱みですが、強みでもある。セオリーや常識破りの手を打ちたい」。12月6日にある名人戦リーグ初戦の相手は、同じ関西棋院の坂井秀至七段。世界アマ優勝、飛び付け五段という経歴も同じだ。「向こうは調子がいいから頑張らないとね。とても楽しみです」。オールドルーキーの挑戦が始まる。

【】
小学4年の頃、担任の先生から碁を教わった。やがて「文化大革命」が起き、古き物として囲碁も廃止される。中国囲碁の先達、陳祖徳九段でさえ工場に行かされたという。革命終焉後、ブランクを克服して再び碁に精進。長じて香港(返還前)に移住、スポーツ記者をしていたが、囲碁への情熱は衰えず、世界アマ選手権戦に優勝して来日。関西棋院で飛び付き五段を許された。