山城宏
やましろ ひろし
Yamashiro Hiroshi

1958年8月12日生れ

山口県出身
日本棋院東京本院所属。島村俊廣門下。1965年入門。1971年院生。1972年入段。1985年九段。
2006年7月〜2012年6月、中部総本部棋士会長。2012年6月より日本棋院副理事長。2016年8月、日本棋院東京本院に移籍。
棋風:手厚く打って後半に追い込むタイプ。
揮毫:
タイトル獲得数:15個(うち世界タイトル:0個)
2010年(51期)王冠戦優勝(52歳)
2005年(46期)王冠戦優勝(47歳)
2001年(42期)王冠戦優勝(43歳)
2000年(41期)王冠戦優勝(42歳)
1996年(37期)王冠戦優勝(38歳)
1995年(36期)王冠戦優勝(37歳)
1994年(35期)王冠戦優勝(36歳)
1993年(34期)王冠戦優勝(35歳)
1993年(第48期)本因坊挑戦者(34歳)
1992年(第18期)天元挑戦者(34歳)
1992年(第16期)棋聖挑戦者(33歳)
1987年(28期)王冠戦優勝(29歳)
1987年(第42期)本因坊挑戦者(29歳)
1986年(27期)王冠戦優勝(28歳)
1986年(第41期)本因坊挑戦者(28歳)
1985年(26期)王冠戦優勝(27歳)
1984年(第32期)王座挑戦者(26歳)
1984年(25期)王冠戦優勝(26歳)
1982年(23期)王冠戦優勝(24歳)
1981年(22期)王冠戦優勝(23歳)
1977年(18期)王冠戦優勝(19歳)
2001年1月1日以降国際棋戦成績=1勝2敗(対韓国:0勝2敗、対中国:1勝0敗、対他:0勝0敗)
対局日棋戦名勝敗対戦相手
2006.04.08富士通杯第1回戦朴永訓九段(韓国)
2005.04.11富士通杯第2回戦宋泰坤七段(韓国)
2005.04.09富士通杯第1回戦常昊九段(中国)
日本棋院の情報 写真(46歳)
【2014年10月24日 『NHK囲碁講座』2014年10月号より】
棋聖リーグに在籍中など、第一線で活躍するかたわら、日本棋院副理事長としての公務にも多忙な山城宏九段。最近は読書の時間が激減したそうだが、それでも「暇さえあれば本屋さんに行く」ほどの愛読家だ。山城九段が語る。
三十代のころに、たまたま手に取った本があって、ひろさちやさんの仏教入門書だったんですが、とても面白くてね。これをきっかけに本を読むようになりました。読むのは早くて、買った本はすぐに読みます。何回も繰り返して読む本もありますね。15年くらい前には、『一日一語』を3冊分、毎朝「一語」ずつ読んで、その言葉をかみしめながら一日を過ごす、ということを3年続けたことがあります。そのときはためになったと思いましたが、「3年も続けたからもういいだろう」と読むのをやめたとたんに全部忘れちゃいました(笑)。5、6年前、小説にはまった時期もありました。中野君(中野寛也九段)と「これが面白いよ」と交換し合ったりしてけっこう読んだな。伊坂幸太郎さんの奥さんのお父さんが碁が好きで、その関係で、知人が僕がファンだということを伝えてくれたんです。そしたらご本人が当時の新刊を送ってくださった。ところがサインがなくて、普通に本屋さんで買った本と見分けがつかない(笑)。最近では『嫌われる勇気』が対話方式になっていて読みやすかった。関心を持った一冊の本から関連した本へと次々手を伸ばしていくことが多いですね。多くの本に書かれているように、この瞬間を最大限に生きることによって未来が変わる。碁も、盤上の瞬間瞬間にいかに集中して打てるかどうかが大事。そんな精神状態でありたいと思っているけれど、なかなか思いどおりにはいかないですね。

【2013年10月16日 『NHK囲碁講座』2013年10月号より】
山城宏(やましろ・ひろし)―10代のころから日本棋院中部総本部の未来を担うホープとして「中京の豆ダイヤ」と呼ばれ(兄弟子の羽根泰正が“中京のダイヤモンド”と呼ばれたことに由来する)、その期待に違わず、これまで棋聖、本因坊、天元、王座など、数々のタイトルに挑戦してきた。ところが、いずれのタイトル戦でも勝利を収めることができなかったのは、その実力を考えれば不思議でならず、まさに「無冠の帝王」と呼ぶにふさわしい真の実力者であることは、碁界の誰もが認めるところである。特に惜しかったのは、平成4年の棋聖戦。六連覇中だった小林光一棋聖を3勝2敗と追い詰めながら残り二局を落とし、悲願のタイトル奪取がならなかった。しかも最終第7局は終盤で必勝態勢を築き上げながら、痛恨の失着で半目負け??20年以上が経過した今でも、中部のファンが「あのミスさえなければ……」と悔しがる一局である。『NHK囲碁講座』で好評連載中のシリーズ「敗れざる棋士たち」。今回は、山城宏九段に「棋聖戦史上に残る七番勝負」を振り返ってもらう。

確かに、今になってもファンの方から「あの碁が……」と言われますし、マスコミの方々からも「痛恨の?」という表現をされるのですが、実は僕本人の中では、それほど痛恨だとは思っていないんですよ。そもそも挑戦者になったとき、まさか自分が棋聖戦の挑戦者になれるとは思っていなかったのです。そして小林光一先生は当時、名人と合わせての二冠をずっと連覇中で、無敵を誇っていましたからね。僕なんかが挑戦者になったからといって、勝てるなんて意識を持てという方が無理みたいな雰囲気がありました。ですからシリーズが始まる前に僕が思っていたのは「あまりにみっともなく負けるのは嫌だなぁ」ということでした。それくらい小林先生の存在は大きかったですから、中部のファンの皆さんが応援してくださるのはありがたかったのですが、僕としてはとにかく一生懸命に打つしかない―それだけでしたね。しかし開幕してみたら、まさかの3勝3敗で最終局に。しかもその第7局は、確かに言われているように、僕に勝つチャンスがあった碁でした。それを逃して負けたわけで、まあ痛恨と言えば痛恨で、負けたからもちろん悔しいのですが、先ほども言いましたように、僕個人としては周囲の皆さんが思っているほど痛恨だとは感じていないんです。というのも、この七番勝負を経験したことによって、僕は明らかに強くなったからです。これは間違いのないところで、実際にこの棋聖戦での敗退後、僕はずっと勝ちまくりまして、この年の暮れの天元戦で挑戦者となり、翌年の本因坊戦でも挑戦者になっているのですから。
七番勝負で強くしていただいたでは棋聖戦の七局を経験したことで、具体的に何が強くなったのか? はっきり「これ」と断言することはできないのですが、小林先生の碁に対する情熱に触れ、そうした真摯さに感化されたということでしょうか。二日制の七番勝負を打つと、局後はもう疲労困ぱいですから、通常あまり感想戦は丁寧にしないものなんです。しかし小林先生はどんなに疲れていても、決して検討をおろそかにするようなことはなく、1時間でも2時間でも真剣に付き合ってくださいました。しかも自分の思ったことを正直に話してくれるというか、自分のすべてをさらけ出してくださったんですね。まるで指導碁で手直しをされているような感覚で「ああ、先生はこういうことを考えていたのか」とか「なるほど、こういう考え方もあったのか」と、本当に勉強になったのです。だからこのシリーズで僕が3勝を挙げることができたのも、小林先生のおかげと言ってもいいのかもしれません。七番勝負を戦っているうちに、僕を強くしていただいたというか…。僕がこのシリーズのあと落ち込むどころか絶好調になったのは、間違いなく小林先生のこの指導による好影響なのです。
具体的にどこが強くなったということは自分でも分からないのですが、先生の碁に対する姿勢を見て「自分も近づきたい」と思い、少しは努力をするようになったということなのでしょう。あれから20年以上がたった現在でも、何とかリーグ戦の舞台で戦えている(棋聖戦リーグに在籍中)というのは、このときの貯金だと言っていいのではないかと思っています。やっぱり碁打ちですから、打っている以上は強くなりたいですからね。この七番勝負で得たものは僕にとって最大の財産であり、こうした気持ちだけは絶対に忘れてはいけないと、常に自分に言い聞かせているのです。

【2006年2月13日 朝日新聞「棋士快声」(浅井義貴)】
中部に山城ありと言われて久しい。なのにビックタイトルに縁がないのは、碁界の七不思議の一つだ。棋聖戦で1度、本因坊戦で3度、七番勝負の挑戦手合を争った。他に天元戦や王座戦でも挑戦者になった。日中スーパー囲碁では一気に5人抜き、でもあと一歩届かない。なかでも棋聖戦での最終局半目負けは、今でも語り草だ。
いや実は立派なタイトルを持っている。日本棋院中部総本部所属の棋士40人余が参加する王冠戦で、昨秋、羽根直樹九段(棋聖)からタイトルを奪取した。王冠は14期目。「19歳の時、初めて取った愛着のあるタイトル。自然と気合いが入ります」。地元、中日新聞の主催。対局の翌日の新聞にでかでかと掲載される。「おめでとう」とご近所の人たちから声がかかる。
名古屋市昭和区の自宅近くに一軒家を借り、囲碁教室を始めて4年。幼稚園から中学生まで約25人が、週3回集まり、子供同士の対局で腕を磨く。「プロを育てようというつもりはありません。子供の頃に知っておけば、途中で止めても大人になって楽しめますから」
楽しさ、奥の深さを一人でも多く知って欲しい。トップ棋士でありながら、丹念に指導するのは、囲碁離れに対する危機感からだ。再び、タイトル戦の話。最近は若手棋士の台頭が顕著で、立会人として対局場に行くことが多くなった。「我々の世代も頑張らないとね」、そうですよ。レベルの高い中部総本部の「トップ」なのだから。

【2005年6月11日 読売新聞「囲碁欄」(千喜良忠)】
2004年10連勝、2005年9連勝とこのところ好成績の山城宏九段。秘訣を伺うと、「別にねぇ」と山城。ここは本人に代わって愛知万博会場でお会いした中部総本部の山城の先輩・馬場滋九段のお言葉を借りよう。「彼は数年前から子供教室を一人でやっとるんです。偉いもんですわ。遊ぶ時間もなくなって、それがいい結果につながってるんと違いますか」。
実は山城に会ったのは「山城宏囲碁教室」。週3回、30人くらいの小中学生を教えているそうだ。「碁に向いている子、向いていない子、いろいろですが、無理強いはせず好きなようにやらせています」。子供たちの話になると、山城の話は熱を帯びてきた。

【2003年8月25日 読売新聞(夕刊)】
山城九段は2001年から名古屋市内の自宅で「子ども囲碁教室」を開いている。開設当初は週1回だった講義は、人数が増えて教室に入らなくなり、今では月、火、土曜の週3回になっている。「子どもが来る限り続けます」(山城九段)。