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井山七冠でも勝てなかった囲碁国際戦 日本勢・戦いの歴史
【2018年2月10日 エンタメ総合(古作登 | 大阪商業大学アミューズメント産業研究所主任研究員)】

2月8日、東京・日本棋院で行われた囲碁国際戦の第22回LG杯世界棋王戦(世界日報主催)決勝三番勝負第3局は、中国の謝爾豪五段(19)が日本の井山裕太七冠(28)を破り2勝1敗で優勝した。日本勢としては13年ぶりの同棋戦優勝が懸かっていたが、あと一歩届かなかった。

最初の国際戦は日本主催
二カ国対抗戦としての国際戦は1984(昭和59)年に始まった「日中スーパー囲碁・NEC杯」(〜2001年)で、国内戦とは違ったオリンピックのような盛り上がりを見せた。当初は女流や新鋭を含めた選抜チームの勝ち抜き戦で、第1回(中国の8勝7敗)、第2回(中国の9勝8敗)とも中国の大将格、聶衛平九段がそれぞれ3連勝、5連勝しチームの勝利に貢献したことで「鉄のゴールキーパー」の異名を取り国民的英雄となった。

24回続いた富士通杯・世界選手権
最初にプロ棋士が参加する大規模な国際個人戦を主催したのもやはり日本。1988(昭和63)年創設の世界囲碁選手権・富士通杯(読売新聞社主催)は高額賞金もともなって注目された。第1回の決勝戦は武宮正樹本因坊(当時)−林海峰九段の対決となり、隅の地にこだわらず中央を重視する「宇宙流」を駆使した武宮の快勝となった。国際戦が行われるようになった当初は日本勢が強く、富士通杯では第1回から第5回まですべて日本の棋士が優勝している。

<富士通杯世界選手権歴代優勝者> *段位・敬称略
優勝者
1回1988年武宮正樹日本
2回1989年武宮正樹日本
3回1990年林海峰日本
4回1991年趙治勲日本
5回1992年大竹英雄日本
6回1993年劉昌赫韓国
7回1994年゙薫鉉韓国
8回1995年馬暁春中国
9回1996年李昌鎬韓国
10回1997年小林光一日本
11回1998年李昌鎬韓国
12回1999年劉昌赫韓国
13回2000年゙薫鉉韓国
14回2001年゙薫鉉韓国
15回2002年李世石韓国
16回2003年李世石韓国
17回2004年朴永訓韓国
18回2005年李世石韓国
19回2006年朴正祥韓国
20回2007年朴永訓韓国
21回2008年古力中国
22回2009年姜東潤韓国
23回2010年孔傑中国
24回2011年朴廷桓韓国


富士通杯に関しては第11回以降全て韓国、中国の棋士が優勝、2011年の第24回を最後に棋戦は休止となってしまった。このように海外勢の実力が向上するにつれ国際戦の舞台で日本の棋士が優勝争いに絡むことは少なくなり、この傾向は現在まで続いている。これは国内外を問わず若手育成に情熱を傾けた藤沢秀行名誉棋聖(1925年〜2009年)の海外における活動や、20世紀後半に中国、韓国で囲碁人気が高まったことでプロを目指す若者が増えレベルが急激に上がったことが影響したといえるだろう。

国際戦優勝で凱旋パレード
このほかの国際戦で歴史が長く現在も残る個人戦は1988(昭和63)年に始まり4年に1度開催される「応昌期杯世界プロ囲碁選手権」がよく知られる。台湾の実業家、応昌期氏(1917年〜1997年)が私財を投じて創設したこの棋戦は日本、中国、韓国、台湾、欧州、米国などから選抜され、賞金も世界最高レベル。第1回で゙薫鉉(チョ・フニョン)九段(韓国)が優勝した時は帰国時に空港からソウル市内まで凱旋パレードが行われるほどの盛り上がりを見せ、韓国囲碁ブームのきっかけとなった。その後日中韓による選抜棋戦の「TV囲碁アジア選手権」、個人戦では中国の「三星杯」や「春蘭杯」、韓国では今回の「LG杯」や国対抗の団体勝ち抜き戦「農心杯」など相次いで棋戦が作られ現在の国際戦全盛時代を迎えている。

日本勢の国際戦優勝に期待
国内では無敵の井山七冠であっても国際戦優勝は2013年の「TV囲碁アジア選手権」(日中韓7人による選抜棋戦)のみ。トップ棋士が多数参加する国際戦で井山七冠やそれに続く若手が頂点に立つことを日本のファンは心待ちにしている。
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