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発症から11年 囲碁棋士・木部夏生さん「糖尿病と対局」を語る
【2017年6月5日 日刊ゲンダイDigital】


「対局中のインスリン調整はいまだに難しいものです」と話す (C)日刊ゲンダイ
「T型糖尿病」を発症したのは小学校4年のときです。これは生活習慣病の「U型糖尿病」とはまったく違うもので、何らかの原因で誤ってリンパ球が内乱を起こし発症する、自己免疫疾患といわれています。子供が発病することが圧倒的に多い、ちょっと珍しい病気です。

 わかったきっかけは“母の勘”としかいいようがありません
「T型糖尿病」を発症したのは小学校4年のときです。これは生活習慣病の「U型糖尿病」とはまったく違うもので、何らかの原因で誤ってリンパ球が内乱を起こし発症する、自己免疫疾患といわれています。子供が発病することが圧倒的に多い、ちょっと珍しい病気です。わかったきっかけは“母の勘”としかいいようがありません。ちょっと面白いんです、うちの母(笑い)。

ちょうど日本棋院の院生になったばかりで、成績も良く「さぁ、これから」というときでした。急に食欲が増して、おやつにオムライスなどボリュームのある食事を取るようになったんです。それなのに体重は減って、体はだるくて、だんだん起き上がるのもつらくなり、いつもソファで寝転がっていました。その1〜2カ月間は、自分でも「何かおかしい」と思ったのは覚えています。でも、毎週末の東京通いの疲れだと考えていました。そんな様子にピンときた母が、ある日、薬局で糖尿病の検査キットを買ってきたんです。たぶん、ネットや本で調べたんでしょうね。リトマス試験紙みたいなものに尿をかけて色の変化を見るというもので、案の定、一番濃い色になりました。

■母の機転で即入院へ

母がすごかったのはその後でした。子供なので「糖尿病かもしれない」と医師に言っても容易に信じてもらえないと考え、わざと夜間の救急で病院に行ったのです。しかも、入院のための着替えやら準備万端整えて(笑い)。そのときの血糖値は560(r/dl)ぐらいでした。健康な人は130程度ですから、歩くのもしんどい値です。母の思惑通り、即入院になりました。初日はインスリン点滴で血糖値を下げましたが、翌日から注射になり、3日後には自分で打つ練習が始まりました。初めは、棋院に通えないことがショックでしたが、医師から「インスリンを注射できれば普通に生活ができるし、囲碁も続けられるよ」と聞いたので、入院生活も退屈することなく、ひたすら囲碁の練習をしていました。2カ月後に退院して学校に戻ったとき、私は病気や注射のことをクラスで発表しました。みんなに理解してもらえたので、いじめも何もありません。ただ、注射は教室では危ないので保健室でと決めていました。

注射の回数は、基礎インスリンのほかに毎食前に打つので、最低でも一日4回。おやつやジュースの前にも必要ですし、血糖値が200を超えたら追加を打つので10回ぐらいのときもあります。基礎インスリンというのは、一日の血糖値の上下幅が少なくなるよう、ある程度上げておくために打つインスリンで、食前のインスリンとは別物です。食事制限はありません。「カーボカウント」といって、炭水化物の摂取量によって食後の血糖値を把握して、そのために必要な量のインスリンを計算して打つのです。だから、いろいろな食べ物の炭水化物量は暗記しましたね。最近は大抵の商品に表示されていますけど、外食するときには絶対に必要なので。血糖値測定器や注射器などのセットは常に持ち歩かなければならないし、一日何度も打つのは面倒だし、針はどんどん細く進化しているけれど、やはり痛くて痕も残る。でも、嫌だなと思うことはそのくらいで、病気で思い悩んだことはありません。

■「病気だからできない」と言われるのが嫌だった

ただ、病歴11年目になっても、対局中のインスリン調整はいまだに難しいものです。実は、対局中の血糖値の上昇は、外から摂取したものによって上がるわけではないので、注射ではなかなか下がらないんです。人は集中するとアドレナリンが出て血糖値が上がります。200を超えると頭がボーッとしてきます。それを下げるためにインスリン注射が必要なのですが、そこで注射を打ち過ぎると集中や興奮が切れた途端に下がり過ぎて、低血糖状態になってしまうのです。なので、対局後に具合が悪くなることもあります。対局は、朝10時〜夕方4時が普通です。上のクラスになればなるほど長丁場になるんですが、それでも対局の日は一日20回ぐらい血糖値を測ってしまいますね。30分おきぐらいに測って130〜150を目標に調整するのですが、勝負どころでは260ぐらいになっています。こればかりは仕方ないんですよね。

今の私があるのは病気のおかげかもしれません。負けず嫌いの性格で「病気だからできない」と言われるのが嫌だったので(笑い)。また、プロになってからは、10万人に数人しか発病しないこの珍しい病気を、もっとたくさんの人に知ってほしいとの気持ちが、「強くなりたい」というモチベーションにもなっています。「生きていることは当たり前じゃない。すごいことなんだ」と教えてくれたのも病気です。病気があったからこそ、健康な人以上に「幸せ」を感じられるのかもしれません。

▽きべ・なつき 1995年、群馬県生まれ。漫画「ヒカルの碁」の影響で囲碁教室に通い始め、小学4年で院生(プロ棋士養成所の研修生)になる。同時にT型糖尿病を発症するも翌年には上京し、藤沢一就八段に入門。2012年に16歳でプロ棋士となる。2016年に二段昇格。2年前から日本糖尿病協会のインスリンメンターとして講演活動なども行っている。
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