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「囲碁AI」の最強時代到来、プロ棋士の存在価値は薄れてしまうのか? 井山裕太名人、伊田篤史八段、本木克弥八段らに聞く囲碁
【2022年7月27日(水) JBpress
 2016年にGoogle傘下のDeepMind社が開発した囲碁AI「アルファ碁」が人類に初めて勝った。ボードゲームの中で碁は“最後の砦”と思われたが、Deep Learning(深層学習)の手法を使うことで、ブレークスルーしたのだ。当時、あと10年はAIが人間に勝つ日が来ないと思っていたプロ棋士たちは、AIの長足の進歩に驚いたものの、多くの棋士は新しい世界を見せてくれるAIをむしろ歓迎した。その強さを認めながらも、自身の棋力向上に役立てている棋士たちの姿を紹介したい。

AIに淘汰された定石、悪手が好手になることも
 まずはAIが囲碁界にもたらしたインパクトと、現在の「活躍」の状況について説明しておこう。人類よりはっきり強いAIが出現したことで、囲碁界は大きく変化した。まず、盤上では新しい定石や手段が打たれるようになった。もっとも象徴的なのが、今や主流となった「ダイレクト三々」だ。碁をたしなんでいる人ならお分かりかと思うが、カカリや受け、ヒラキなどがない星に直接三々に入るというのは、これまで人間の発想にはなかった。また、相手を「二立三析」の好形に導くコスミツケも昔は悪手だったが、AIによって見直され、今やごく普通の手として打たれている。また、ナダレや大斜など長手数の難解定石は、比較的短手数の変化に改良された。生き残った定石もあるが、淘汰されたものもあり、とくにベテラン棋士はこれまでの知識から大きくアップデートする試練に向き合わざるを得ない状況になっている。もうひとつ、研究の仕方が大きく変化したことも挙げられる。これまでは師匠や兄弟子などに、自分の碁を見せて教えを請うのが上達に欠かせなかったが、現在は自宅でAIに自戦をかけて研究することもできる。師匠や先輩に碁を見てもらうスタイルは、時間的制限がつきまとう。しかしAIならいつでもどこでも何度でも検討や研究ができる。強くなる機会が格段に増えたといえるだろう。

数々登場する囲碁AIソフトの種類と特徴
 ひとくちにAIといっても、いくつかの種類がある。人類を初めて負かしたアルファ碁はすでに「引退」しているため、現在使われている主なものを紹介しよう。『絶芸』は中国テンセント社製。中国ナショナルチーム専用で、日本で出回っているのは簡易版だ。絶芸は中国ルール(コミ7目半)にだけ対応しており、対局するときは対等な互先では打ってもらえない。『GOLAXY(ゴラクシー)』は中国の中小企業製。中国アマ囲碁界の顔役が開発者をスカウトして運営している。有料で、日本の棋士もよく研究で利用している。『KATAGO(カタゴ)』はフリーのオープンソース。囲碁好きの中国系アメリカ人が個人で作った。セミプロなどのプログラマーにKATAGOを使って自己対戦してもらい、棋力を向上させた後に結果を返送してもらう「元気玉方式」で強くなっている。KATAGOは「型・碁」のこと。シチョウなどの手筋や型を教えるため、成長が早い。また、ハンデ、盤の大きさ(19路盤以外でも)、コミなど自由に設定ができるのが大きな特徴だ。現在、YouTube『日本棋院チャンネル」で使われているのもKATAGOで、評価値(勝率)と目数の差が表示されていて分かりやすい。

AIと人間の「力の差」は?
 では、AIと人類はどのくらい力の差があるのだろうか。囲碁AIに詳しい大橋拓文七段によると、プロがハンデをもらって絶芸に2子のハンデでは、人間はほぼ勝ち越せない。世界最強の申眞ソ九段(韓国)でさえ、ときどき勝てるというレベルだ。4子置いてようやくプロが勝てる差だという。AIのほうが確実に強いのだが、それでも「神」レベルではないという。「同じ場面でもAIによって意見が分かれることが、『神』ではない証拠です」(大橋七段)。AIでも間違えることはあり、とくに「攻め合い」、盤上に大きく広がる石の「大きな死活」が苦手だ。ふだんの対局でも、AIが示さない手を人間が打ったとき、評価値が上がっていくことがしばしばある。これはAIには“読み抜け”があり、AIが見えない好手を人間が見つけていることを示している。「棋士はAIが気づいていない手を見つけようと努力している」(大橋七段)のだという。

トッププロたちはAIをどう活用しているのか?
 AIは自己対戦で日々強くなっているが、人間もAIを利用してどんどん強くなっている。大橋七段によると、アルファ碁の最初のバージョンであれば現在のトップ棋士が勝てるほど人間の棋力も上がっているという。それでは、いよいよそのAIをプロの棋士がどう活用しているのかを紹介しよう。多くの棋士は自戦の反省や次の対局に向けて作戦を練るなど研究に活用しているのだが、AIと実戦さながらに打つかどうかといえば、意見が分かれる。トップ棋士数人にそれぞれの活用法・付き合い方を聞いてみた。

●蘇耀国九段
「布石だけ、100手くらい打ちます。中国の陳耀Y(ちん・ようよう)九段は3000局打っているといいますが、僕は500局も打っていない。あまりにも負け過ぎて全然碁にならないので精神的につらいんです。AIは同じ打ち方をしてくるので、欠陥を見つけてそこを突けばうまくいくのですが、それでは自分の棋力向上にはなりませんからね」

●本木克弥八段
「たまに打ちます。布石ですぐ潰れちゃうので、最初からではなく勝率90%くらいの状態に設定して、それでAI相手に勝ちきれるか研究しながら最後まで打ったりしています。大ヨセからでは難しく、小ヨセからでもけっこう強いのですが、この設定にするとなんとかなります。差があるからといって、置碁で打つ気にはなりません。手合いは互先ですから」


●伊田篤史八段
「私は打ちません。早碁で打つのは意味を感じませんし、本番は人間相手ですからね。AIと人間とでは打ち筋も違いますから、AIとばかり打ってどれくらい得るものがあるのか正直疑問なところはあります」

●佐田篤史七段
「たまに打ちます。でも負けると手合いで手が縮こまってしまいます。負けると心が痛みやすくなるので、心の負荷に耐えられるくらい元気なときに限ります。自分がよく打つ布石を並べて、逆の立場にしてAIと打つような研究もしています」

●井山裕太名人
「序盤だけ打つこともありますが、ほとんど打ちません。心が折れますし、“負け癖”がつくのも気になります。結局、打つ相手は人間ですしね」

 話を聞いたプロ棋士が口を揃えていたのは「人間とAIでは打つ手が違う」ということ。だが、本木八段は、「AI対AIの碁は理解が追いつきませんが、AI対人間は面白いですよ。人間の手は予想できますので」と話してくれた。では、プロ棋士にとって囲碁AIとはどんな存在なのか。「AIは先生だと思っています。良い意味で固定観念が壊されるので歓迎です」とは佐田七段。

 大橋七段は「AIと人間のもっとも大きな違いは、“勝ちたい”“恐怖心”などの感情の有無」だという。たとえばAIは大きな捨て石をする。人間は「こんなに取られて勝てるのか」と恐怖心を抱く。ほかにも、AIは相手の着手に応じない、相手の地を深く荒らしに行く、など人間が先をはっきり見通せないところまで深く厳しく迫るのが特徴だ。アマチュアはトッププロの手すべてを理解することはできない。解説があってやっと分かるかどうかだが、それと同様に、トッププロでもAIの手をすべて理解するのには苦戦しているようだ。意味がよくわからない手がしばしばあるのである。しかもAIは言葉を発しないので解説もしてくれず、手の内は人間側が推測するしかない。

「AIは宇宙探査機。惑星の石を調べて使うのが人間」
 とはいえ、ここまで囲碁AIが強くなる中で、今後プロ棋士たちの存在価値は薄れてしまわないのだろうか。「AIの考えを解説、通訳したりAIの間違いを指摘したりする役割があると考えています。アマチュアのみなさんよりはプロのほうがずっとAIを理解していますから」(本木八段)。アマチュアが棋力向上のためにひたすらAIと打つことはできるが、相手の棋力や特徴に応じたアドバイスは人間しかしてくれない。そもそもAIの洗礼を受けたのは、囲碁より将棋界のほうが先だった。将棋は名人がAIに負ける姿をまざまざと世間にさらしたのだが、将棋の人気は下がるどころか急上昇している。それは藤井聡太四冠という人間に魅力があるのも大きな要因だろう。勝ったり負けたり、向上したり、挫折したり、苦悩したり……というドラマに人間は共感し感情を揺さぶられる。囲碁棋士たちは「内容がおろそかになると結果がついてこないので、とにかく内容を求めていき、囲碁の真理を追究していきたい」(伊田八段)との思いが強い。決して暗記ではなく、自分の頭で考えることを大事に日々努力している。AIが出現したことで、人間のすごさも分かってきた。今の若手棋士は、「AIが良いという手を、人間が昔から打っていたなんてすごい!」と話していたことがある。人間がこれまで培ってきた定石、筋、考え方などをAIが高い評価値をつけてお墨付きを与えている部分も多いからだ。井山名人はこう話す。「人間の苦悩、葛藤をファンのみなさんにどう見ていただくか。膨大に手を読んでも結局打つ手は一手だけ。盤上に現れなかった手など、どんなことを考えているのか、頭の中が分かるようになればおもしろいのでしょうけど……」

 人間はAIという最強の道具を手に入れたが、囲碁の魅力を広く伝えるには、プロ棋士の腕前のみならず、解説者や観戦記者の伝え方、囲碁ファンに対する的確なアドバイスなど人間にしかできない能力をフル活用することが必要だ。「AIは例えるなら宇宙探査機。惑星の石(好手)を取ってきて新しい手を示してくれる。その石を調べて使っていくのが人間です」(大橋七段)まだまだ知らない手は山ほどある。AIの進化に伴って碁の可能性が広がっていることを考えれば、囲碁界の未来は明るいといえるのではないか。


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